人真似をする烏いてそのうちに虚しさを知る日も来るだろう
大田美和『きらい』
大田美和の第一歌集『きらい』(1991年)に収められた一首です。
憧れの人がいるとします。その人みたいになりたくて、真似をする。そういうことはあるでしょう。その人のもつ雰囲気、仕事、財産、生活、環境、人間関係など、憧れるものは色々とあると思います。まず、真似から入るということは、自分が思い描く理想に近づくためのひとつの方法ではあるでしょう。
しかし、人の真似をするだけで、人は生きていけるのでしょうか。いや、生きていくことはできるのですが、それは本当に自分の人生を生きているといえるのでしょうか。
この歌は、そのような真似をすることと虚しさについて詠っていますが、烏を引き合いに出しています。烏が人の真似をしている場面を見ているのでしょうが、真似をする烏をやや冷ややかな目で見ているのではないでしょうか。あるいは憐みの目をもって見ているのかもしれません。
人真似をするばかりでは虚しいということを、おそらく烏は理解していないでしょう。人真似では結局自分という存在を他者に預けてしまっているといえるのかもしれません。でも、そんな人真似ばかりの烏に対して「虚しさを知る日も来るだろう」といっているのです。
この歌は烏が登場してはいるのですが、本当は烏ではなく、人間に対して、あるいは自分自身に対して突きつけた問いかけなのではないでしょうか。
やや関連する歌として、本歌集には次の一首も収められています。
犇きて海に墜ちゆくペンギンの仲良しということ無惨かな
掲出歌とまったく同じではありませんが、どこか響き合うような一首ではないでしょうか。
ペンギンは一匹が海に飛び込めば、残りのペンギンも次々と飛び込んでいきます。「人真似」と「仲良し」は同義ではありませんが、掲出歌とこの歌に、自分という存在は何かということを突きつけられているように感じます。
最初に飛び込むファーストペンギンになれば、人真似にはならないのでしょうが、大多数はファーストペンギンにはなれません。
そう考えると、人の真似をせずに生きていくことはなかなか難しいことかもしれません。ただ、安易に人真似で済ませばいいという気持ちをもたなければ、結果として人と似たような生き方だったとしても、それは自分の軸をもった生き方といえるのではないでしょうか。
人真似が悪いとは思いませんが、掲出歌の烏のようにいつまでも人真似をしているばかりでは、自分の人生を生きているとはいえないでしょう。いつかどこかのタイミングで、人真似を脱する瞬間をもつことで、人真似ではない自分だけの人生がスタートする、そんなメッセージを感じずにはいられない印象深い一首です。

