死にやすいこころを入れる死ににくいからだのことを言うないまさら
村上きわみ『とてもしずかな心臓ふたつ』
村上きわみの第三歌集『とてもしずかな心臓ふたつ』(2025年)に収められた一首です。
「こころ」と「からだ」。
人間を構成するものは何かと問われれば、「こころ」と「からだ」と答えて大きく外れることはないでしょう。もちろん物質的および部位的な話ではない問いにおいてですが、それくらい人間という存在にとって「こころ」と「からだ」から成り立っているといってもいいかもしれません。
これら二つは、切っても切れない関係にあると感じますが、その関係をこの一首は「死にやすいこころ」と「死ににくいからだ」という対比的表現で巧く表していて、読み手に新たな発見を与えてくれるのではないでしょうか。
いわれてみると、「からだ」より「こころ」の方が「死にやすい」と改めて感じます。
「からだ」が朽ちていくときは、病気や事故によるものでしょう。あるいは寿命という時間が「からだ」を死にもたらすでしょう。ここには、自分の意思はほとんど含まれていません。
一方、「こころ」はどうでしょうか。死にたいと人が思うとき、それは「こころ」から発せられる叫びなのではないでしょうか。あるいは、人生がうまくいかないとき、「からだ」よりも先に「こころ」が折れてしまうのではないでしょうか。
そんな「死にやすいこころ」を「からだ」は包み込んでくれているのでしょう。「死ににくいからだ」で「死にやすいこころ」を守っているのです。
結句「言うないまさら」に込められた思いは何でしょうか。誰かが主体に向かっていったから、それに対して、そんな当たり前のことをいまさらいうなといっているのでしょうか。それとも、自分自身に対していっているのでしょうか。
いずれにしても、いまさらいったとてどうにもならないという気持ちが主体にはあるのではないでしょうか。もう少し「こころ」が死ににくければという思いもあるのかもしれません。しかし、死ににくい「こころ」を希求したところで、「こころ」はやはり「死にやすい」のです。それは変えられないと考えているのではないでしょうか。
そして一方で、死を希求する場合「死ににくいからだ」は厄介なものとして映っているのでしょう。「こころ」は「死にやすい」のに、「からだ」が「死ににくい」ため、なかなか死へ到達できないではないかという思いもあるのかもしれません。
どちらも「言うないまさら」にその感じがよく表れていると思います。
死にやすさ、死ににくさという点から「こころ」と「からだ」を見つめたところが大変興味深く、生と死の真理をつくような魅力にとても惹かれる一首です。

