不平ばかりいうひとがいて夕光が窓に届けば立ちてゆきたり
吉野裕之『ざわめく卵』
吉野裕之の第二歌集『ざわめく卵』(2007年)に収められた一首です。
不平ばかりいう人はどこにでもいると思います。
不平をいって何かが解決するのであればいいのですが、大抵は不平をいってそれで終わりになるように感じます。ストレスや、自分を見てほしいという気持ち、自分は悪くないという思いなど、不平をいう理由はさまざまでしょう。
特に職場でそういう人を見かけることが多いのではないでしょうか。上司のやり方に不平をいったり、組織のルールに対して不平をいったり、自分が正当に評価されていないと不平をいったり…。
とにかく、仕事に関わることで不平が出やすくなるのかもしれません。
一応職場を想像して、窓のあるビルのオフィスを思い浮かべました。「不平ばかりいうひと」は主体に直接不平をぶつけていったというよりは、周りに聞こえるような声で、同じフロアの誰かに対して不平をもらしている状況ではないでしょうか。「立ちてゆきたり」に、不平をいう人と主体との距離感を感じるため、そのような状況ではないかと思います。
「夕光が窓に届けば」とありますが、夕光が射し込む前からやってきて、割と長い間、不平をいっていたのでしょう。
夕方となり、定時になったのかもしれません。そうすると「不平ばかりいうひと」は何事もなかったかのように去っていったのではないでしょうか。
その間、不平を聞かされる主体もたまったものではありませんが、この歌からは、主体の冷静な姿勢を感じます。また不平ばかりいう人がいるなあといった感じで、それによって自分が気分悪くなったり、機嫌を損ねたりするようなことはしていないことが窺えるでしょう。
ひょっとすると、夕光が射す頃、「不平ばかりいうひと」が去っていくことはもうわかっていたのかもしれません。「不平ばかりいうひと」を見つめる主体の目は、人を見るというより、まるで一時的に訪れる少し濁った空気を見つめるような感じで見ていたのではないでしょうか。
そのような存在として見ているがゆえに、夕光がさっとその人の存在を消してしまった、そんな印象が残ります。
非常に些細な場面を捉えた歌ですが、「不平ばかりいうひと」に対する主体の見つめ方なども色々と想像でき、夕方のひとときの雰囲気が興味深く感じられる一首です。

