世界を創る努力を一時怠って風に乗るビニールを見ている
五島諭『緑の祠』
五島諭の第一歌集『緑の祠』(2013年)に収められた一首です。
生きるということは、多かれ少なかれ、世界に参加することなのかもしれません。
「世界を創る努力」というのは、日々生きて世界に参加する意識を指しているのではないでしょうか。何も、世界の王や権力者になって、世界全体を意のままに操ったり、牛耳ったりしようとかいうことではないでしょう。
貢献といえばおこがましいかもしれません、自分ひとりの殻に閉じこもるのではなく、ひとでも物でも外界に対して何かしらの接触を試みようとする行為が、この歌でいう「努力」なのかもしれません。
さて、そのような努力を一時的に取りやめて、「風に乗るビニール」をじっと見ているのです。
怠るといえば、怠けているようでどこか罪悪感を伴う印象を受けますが、そう自分を責める必要はないでしょう。ときには、風の流れのままに漂うビニールを見つめる、特に何もせずぼおっとする穏やかな時間も大切ではないでしょうか。
ひょっとすると、風に乗るビニールに主体は憧れているのかもしれません。生きることが努力であるとするならば、その努力から少し離れてみたくなったのではないでしょうか。
風に乗るビニールは「世界を創る努力」をしていないように見えるのかもしれません。実際のところはわかりません。例えば、風を読んでうまく捉えて風に乗るという、ビニールなりの努力があるのかもしれませんが、傍目に見ている限り、ビニールは悠々と楽に風に運ばれているように見えるのでしょう。そのようなビニールの自由さに一時的に心は寄っているのでしょう。
しかし、「一時怠って」とある通り、一時が終われば、主体は再び「世界を創る努力」に戻っていくのだと思います。
「世界を創る努力」が世界を更新していくのかもしれませんが、「世界を創る努力」に注力することが本当に正しいのか、「風に乗るビニール」へ傾倒していくことは怠けなのだろうか、などさまざまな思いの揺れ動きを感じさせてくれる一首ではないでしょうか。

