天気予報聞きのがしたる一日は雨でも晴れでも腹が立たない
俵万智『サラダ記念日』
俵万智の第一歌集『サラダ記念日』(1987年)に収められた一首です。
生きていれば、腹の立つことも色々とあるでしょう。しかし、腹を立てているのは何かのきっかけ、つまり原因があって腹を立てているのでしょうか。
この歌は、天気予報と腹が立つか立たないかの関係に注目した歌ですが、日々を気持ちよく過ごすうえで、とても大切なことを教えてくれているように感じます。
天気予報で、今日は晴れといわれたら、傘をもたずに出かけるでしょう。でも、午後から急に天気が悪くなって雨が降ったとします。そうすると、天気予報では晴れといっていたのに、雨が降るなら傘をもってきたのに、とつい天気予報のせいにしてしまいます。逆に今日は雨といわれたら、傘をもって出かけるかもしれませんが、結局その日一日降らなければ、傘をもってこなければよかったと思うのではないでしょうか。
天気予報が当たっても特段感謝することはないかもしれませんが、はずれた場合は天気予報のせいにして腹を立ててしまいがちです。それは天気予報を見聞きしてしまうからでしょう。しかし、この歌のように天気予報を知らなければ、雨だろうが晴れだろうが、そもそも天気予報の当たりはずれのせいにすることがありませんから、腹を立てることはないのです。
腹を立てているのは、天気予報に原因があると思いがちですが、実際は天気予報自体にいいも悪いもなく、それを見た人間がどう解釈するかだけなのだと思います。もっといえば、今腹を立てたいから腹を立てているのであって、それを天気予報のせいにしているだけなのです。つまり、腹を立てたいがために天気予報を引き合いに出しているだけなのではないでしょうか。
天気予報を見聞きしなければ腹が立たないように、もし見聞きしていて予報と違う結果になったとしても、自分が腹を立てないという選択肢も充分可能なのです。腹を立てるかどうかは自分で選択できるといってもいいでしょう。腹を立てたところで、天気は直ちに自分の思い通りに変わるわけではありません。そうであれば、いらいらして腹を立てるだけ損な時間を自分で選んでいるともいえるでしょう。
天気予報の当たりはずれがどうしても自分の思考や感情に影響を与えるのであれば、掲出歌のように天気予報を聞き逃せばいいのです。それで腹が立たない一日を過ごせるのであれば、これほどすばらしいことはないのではないでしょうか。
この歌は偶々天気予報を聞き逃した場面ですが、自らの意思として天気予報を見ないという選択をすることもできるでしょう。
天気予報を聞き逃さずしっかり把握して未来を予定通りやり過ごすこと以上に、今日一日腹を立てずに過ごすことの方がよほど大切なことではないでしょうか。天気予報という非常に些細な場面を詠った歌ではありますが、日々を生きるうえで、とても大切なことに気づかせてくれる一首だと感じます。

