悲しみといふ不器用はかさなりしかなしみにさへ紛れておぼろ
平井弘『振りまはした花のやうに』
平井弘の第三歌集『振りまはした花のやうに』(2006年)に収められた一首です。
「不器用」とは、通常手先がうまく使えなかったり、物事を進める要領があまりよくなかったりする場合に使われる言葉です。
しかし、この歌では「悲しみ」に対して「不器用」を当てはめていて、そこがまず興味深く感じられるポイントではないでしょうか。
「悲しみ」と聞いて、何となくマイナスの感情というイメージだけで捉えがちですが、「不器用」といわれることで、「悲しみ」という感情に新たな一面が与えられたように思いますし、自分のせいばかりではないと感じられるかもしれません。
「悲しみ」というのは、やはり自分でどうにか制御しようと思ってもできないものなのではないでしょうか。それは、まさに「不器用」そのものなのでしょう。「悲しみ」が訪れるときは不意にやってきますし、それを完全にシャットアウトすることはできないでしょう。
さて、そのような「悲しみ」ですが、ひとつだけ訪れるとは限りません。まだひとつの「悲しみ」が癒えないうちに、次の「かなしみ」がやってくることもあるでしょう。
かなしみが重なることは何ともつらいことだと感じるでしょう。自分でも他者でも、たったひとつでもかなしいのに、それが複数重なるなんて耐えられないと想像するのではないでしょうか。
しかし、掲出歌はそのようには詠っていません。「かさなりしかなしみにさへ紛れておぼろ」と詠われており、かなしみが重なることで、当初あった「悲しみ」が紛れてしまうといっているのです。
かなしみがたったひとつであれば、そのかなしみに意識が集中し、とても大変なことだと感じるものですが、かなしみがいくつも重なってくると、ひとつひとつのかなしみに最初と同じような集中をもってかなしむことにも疲れてくるのではないでしょうか。重なることで、ひとつひとつの重要性が薄れていくような感じでしょうか。
この歌を読んで気づいたのですが、これはかなしみの効用、プラスの側面なのではないでしょうか。かなしみといえば、マイナスの面ばかりを取り上げてしまい、複数集まるとかなしみは増幅すると思うのはごく自然なことですし、実際かなしみにかなしみが重なると一時的にはかなしみの感情は増幅すると思います。
しかし、感情の増幅期間を越えると、かなしみが重なったことにより、そのうちのひとつのかなしみが少し和らぐのでしょう。
「不器用」という捉え方、そしてかなしみの重なりにより、そのうちのかなしみが紛れるという着眼点が新鮮に感じられ、印象深い一首だと思います。

