人生の歌 #164

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人生の短歌

たましひの自由とこころの不自由を比べて秋の雲を見てゐる
木畑紀子『歌あかり』

木畑紀子の第四歌集歌あかり(2008年)に収められた一首です。

この歌には、「(由比)」という註が付されています。由比は、東海道五十三次の16番目の宿場町としても知られる場所で、静岡市に位置します。

由比を訪れた際の歌だと思いますが、「由比」の「由」と「比」の文字が、「自由」「不自由」「比べて」に読み込まれてします。

季節は秋です。天高く感じられる秋の空に浮かぶ雲を見ているのでしょう。そして、「たましひ」と「こころ」の対比について、見つめているのです。

「たましひ」も「こころ」もどちらも物体として直接目に見えるものではありません。実体がないともいえます。ですから、自由と不自由といういい方ができるのかもしれませんが、「たましひ」の方は自由に注目していて、「こころ」の方は不自由に焦点を当てています。

「たましひ」は、たとえ肉体が滅んだとしても永遠に残り続けるともいわれています。どちらかといえば、今生きている我々がそのすべてを理解することも把握することもできない、大いなる力を秘めた存在のようなものではないでしょうか。そこには、自分自身の思いを超えた「自由」さのようなものが感じられるのかもしれません。

一方の「こころ」は、もう少し人間寄りのものであり、思考や感情のような精神的なものの基になるような存在です。自分の思い通りにいかないと感じたり、思いもよらない感情が急に出てきたりすることは、やはり「不自由」に感じるものとしての「こころ」だと思う瞬間があったのかもしれません。

つまり、「たましひ」は今生だけに留まらず、次に生まれ変わったときにも継続されるものかもしれませんが、今感じている「こころ」は今の肉体が滅びるとなくなってしまうものという認識と捉えるとわかりやすいのではないでしょうか。

そもそも「たましひ」と「こころ」を比べようという発想自体が、何とも飛び抜けているように思いますが、一方は「自由」であり、もう一方は「不自由」である点を比較しようとしている点にも興味深いものを感じます。比べた結果がどうであったか、主体の結論はどうなのかは詠われていないのでわかりません。ただ、秋の雲のふわふわと漂う様、そしてつながったり離れたり、さらには消えてしまったりする雲の様子は、そんなに白黒つけなくてもいいのではないかという気さえ思わせてくれるのではないでしょうか。

「たましひ」も「こころ」も、それらの働きに無理に抵抗しようとするのではなく、今の自分が思うように受け容れるしかないのかもしれませんし、受け容れていくことが生きていくことそのものなのかもしれません。

日常の枠から一歩外に出たような印象を与えてくれる歌であり、捉えどころがないといえば捉えどころがないのですが、この比較がなぜか気になり惹かれる一首です。

木畑紀子『歌あかり』

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