脱出のかなはぬわれは街のまなかと思ふ部屋にて椅子を廻せり
稲葉京子『秋の琴』
稲葉京子の第八歌集『秋の琴』(1997年)に収められた一首です。
「脱出のかなはぬ」とはどういうことでしょうか。
「部屋」とあるので、まさか牢獄に囚われているわけではないでしょう。まず思うのは、年齢を重ねて、だんだんと家から外へ出ていくことが難しくなっている状態であったり、新たな世界へ冒険したいのだけれど、なかなか踏み出せないような状況が浮かんできます。つまり、外界へいきたいのだけれど、いけないような状態を想像することができるでしょう。
また「脱出」を、この世からの脱出というふうにも捉えることもできるのではないでしょうか。「脱出」という言葉からすると、むしろこちらの方が近いかもしれません。人は、この世という世界から抜け出すことはできず、この世で生きていくしかありません。しかし、今いる現状に納得がいかず、どこか別の世界へ脱出したいと思うことは誰しもあるのではないでしょうか。何も死んであの世にいきたいということではありません。厭世としての脱出のイメージが近いかもしれません。この歌の「脱出」は、そのようなどうにもならない現状からの脱出を意味しているのではないかと思います。
面白いのは「街のまなかと思ふ部屋にて椅子を廻せり」です。「部屋」は今自分がいる部屋、自室だと思いますが、それを「街のまなか」と思っているところが興味深く感じます。実際、街の真ん中あたりに位置しているのかもしれませんが、そういった地理的な中心ではなく、自分が今いるところが「街のまなか」であるという意識でいることに自由な心のもちようを感じます。
そして、「椅子を廻せり」とあり、椅子を回しているのです。自分が座っている椅子でしょうか。360度回転する椅子をイメージしました。ひょっとすると座っていない椅子を回しているのかもしれませんが、ここではその椅子に主体が座ってくるくると回っている様子を思い浮かべました。椅子に乗ってくるくると回ったところで、脱出できるわけではありませんが、その行為を「脱出のかなはぬわれ」と認識しながら行っているところに面白さを感じるのです。
脱出は叶わないけれども、それくらいしかすることができない状況なのでしょう。でも、ここに悲壮感はまったく感じられません。ただ単に現状を受け入れている主体がいるのではないでしょうか。
何とも不思議な一首ですが、なぜか惹かれる一首です。

