崩れたる本が網戸を破りたり硝子を割らなくてよかつた
真中朋久『重力』
真中朋久の第三歌集『重力』(2009年)に収められた一首です。
部屋の中に、本がたくさん積まれていたのでしょう。
本棚に収まっていれば、本は簡単には崩れて落ちるということはありませんが、おそらく本棚に収まりきらないほどの本があったのだと思います。あふれた本は、床に置かれてだんだんと積み上げられていき、やがては部屋の中に、本の山がいくつもできあがることになるでしょう。
そのように床に積まれた本が崩れた場面を想像しました。窓際に置かれていた本の山が崩れて、窓へ倒れていったのでしょう。そのとき、崩れた本の勢いで網戸が破れてしまったのです。幸いにも、窓ガラスは無事だったようです。
網戸は通常窓ガラスの外側に設置されています。ですから、この状況は、窓が開いていて、網戸だけの状態になっている部分に本が崩れたのではないかと思います。偶々、網戸だけの状態のところへ崩れたので、網戸は被害を受けましたが、窓ガラスは割れずに済んだのでしょう。
ここで注目したいのは「硝子を割らなくてよかつた」です。通常、本が崩れて網戸が破れてしまうと、本が崩れたこと、そして網戸が破れたことに意識が向くと思います。そして、どうしてこんな風に本を積み上げてしまったのだろう、積み上げるにしても窓から離しておけばよかったのではないか、網戸を修理しないといけないじゃないか、などとちょっとした後悔が湧いてくるのではないでしょうか。
しかし、主体は「硝子を割らなくてよかつた」というところに意識を向けているのです。本が崩れて網戸が破れたという残念な事実はあるにしても、そのような事実の中でも、いい点を見いだそうとする姿勢に好感がもてるのではないでしょうか。
運のいい人というのは、たとえどんな状況であったとしても、その状況の中で恵まれている部分に焦点を当てるといいます。この歌を読んで、そのような運のいい人のイメージを想像しました。
網戸が破れたという事実は変わりません。しかし、本が崩れて網戸が破れるという悪い点を見つめるのではなく、硝子が割れなかったといういい点を見つめる姿を日々継続できるかどうかが大切なのかもしれません。見方によって、残念な日常にもなり得るし、素敵な日常にもなり得るのではないでしょうか。
事実は変わらないけれど、その事実を見る視点はいかようにもできることを、この歌は伝えてくれるように感じます。

