生きているだけでえらいと思ってる だからおふろは明日入ります
埃『限界OLクソ短歌』
埃の第一歌集『限界OLクソ短歌』(2026年)に収められた一首です。
例えば、一日を終えたとき、今日一日は何もできなかったと思う日はあるでしょうか。
おそらく、多くの人がそのような思いを感じたことがあるのではないでしょうか。それは、元々自分が今日はあれとこれをやろうと思って一日を始めたのに、終わってみれば、最初に思い描いていた予定とは大きくかけ離れた日であったと感じたときに起こるのではないでしょうか。
それは、ある意味自分自身に対するハードルが厳しすぎるのかもしれません。もう少しハードルを下げて見つめれば、何もできなかった日であっても、決して責める必要はないのかもしれません。
掲出歌の「生きているだけでえらいと思ってる」から、まさにそのような思いを感じます。
何もできなかったと感じる一日でも、「生きている」ということはできたのではないでしょうか。今日も無事生きることができたと思えば、それはすばらしい一日なのではないでしょうか。
生きていることを当たり前だと思ってしまうと、何も成し得なかったと感じるかもしれませんが、一日を生きているということはすばらしいことであり、奇跡であるといっても過言ではないでしょう。病気もせず、交通事故にも遭わず、命の心配もなく、一日を生きられた自分をもっと褒めてあげてもいいのではないでしょうか。
「生きているだけでえらいと思ってる」と主体はいっていますが、自分で自分のことを「えらい」と思えること自体が素敵なことだと感じます。自分に厳しすぎる人はなかなかこのような視点にたどり着かないかもしれません。ハードルが高すぎるのです。
そうではなくて、生きているだけでもう充分すばらしいと思えることができれば、今日一日の自分をもっと肯定できるのではないでしょうか。
「だからおふろは明日入ります」が面白いですね。お風呂は毎日入らないといけないという固定観念のようなものがありますが、毎日入らないといけないと誰が決めたのでしょうか。
入りたければ入ればいいし、今日は入りたくないと思えば明日入ってもいいわけです。ここで大事なことは、今日お風呂に入らなかった自分は駄目な人間だと思わなくていいということです。今日お風呂に入らない自分を責めずに、そんな自分でもいいじゃないかと認めてあげればいいのでしょう。
今日お風呂に入らない自分がいるとして、その状況は同じでも、その状況を責めるのか、別に何の問題もないと捉えるのかで、随分と日々の生きやすさが変わってくるでしょう。
この歌は「お風呂は明日入ります」のいいわけとして、上句の「生きているだけでえらいと思ってる」といっていると読めなくもありませんが、素直に自己を肯定していると捉えたいと思います。
生きていることがえらいという点に共通して、本歌集には次の一首も収められています。
まあ生きているだけでだいぶえらいのでそれ以上求められましてもね……
この歌も掲出歌もそうですが、生きているだけでえらいと思えるかどうかに注目していまいます。特に、自分を否定したり、責めそうになったときこそ、生きているだけでいいんだと感じることが大切なのかもしれません。
掲出歌は、一見何気ない歌のように感じますが、落ち込んだときほど結構心に響く一首なのではないでしょうか。

