長の付く名刺互いに交換し人生の昼さがり Maybe
藤原龍一郎『嘆きの花園』(現代短歌文庫『続藤原龍一郎歌集』より)
藤原龍一郎の第三歌集『嘆きの花園』(1997年)に収められた一首です。
「長の付く名刺」をもっているということは、長のつく役職についていることを意味します。
社長、部長、次長、課長、係長、センター長、所長、工場長、院長、施設長など、長のつく肩書はさまざまあるでしょう。
主体も、名刺交換をした相手も何かしらの「長」がつくポストについているのです。会社であれば、入社したての頃はそのような肩書がついてはいませんが、長く勤めていると好むと好まざるに関わらず役職が上がり、周囲からは「○○長」と呼ばれる位置に立っているものでしょう。
「○○長」ですから、ある程度年齢を重ねていることが窺えます。それを「人生の昼さがり」と表現したところが魅力的です。朝でもなく夕方や夜でもなく、「昼さがり」という時間帯が、40~50代の人生半ばの折り返し地点のイメージをもたらしてくれるのではないでしょうか。
この「昼さがり」を主体は、肯定しているわけでも否定しているわけでもなさそうです。ただ、そのような役職につき、そのような年齢に達してしまったことを素直に受け容れているのでしょう。いや、受け容れるしかないのかもしれません。役職があることで、収入面や立場としての優位はあるでしょうが、日々に注目すれば、もちろんいいことだけではなく、責任もありつらいと感じることもあるでしょう。
ただ、役職に固執するでもなく、役職を拒絶するでもなく、この歌からは何となく自然に今のままの状態であるがままにいようとするような雰囲気が感じられます。
それは結句の「Maybe」によるところが大きいのかもしれません。「昼さがり」であることを断定しているわけではありません。「Maybe」なのです。この「Maybe」からは、執着、欲望、とらわれのようなものはあまり感じられず、むしろこの人生を流れに任せるような雰囲気が感じられるように思います。
何より、英語の「Maybe」が最後に突然登場するところがかっこいいではありませんか。若干の哀愁を含んだ「Maybe」が特に印象に残る一首ではないでしょうか。

