人生の歌 #189

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人生の短歌

過去を悔い未来を憂ひぼくたちはやけに空しい息をしてゐる
西田政史『スウィート・ホーム』

西田政史の第二歌集『スウィート・ホーム』(2017年)に収められた一首です。

一切、過去を悔やまずに生きている人はいるでしょうか。あるいは、これから訪れる未来に全く不安を抱かずに今を生きている人はいるでしょうか。

過去を後悔せず、未来を憂うことなく生きることができれば、すばらしいことだと思います。

しかし、なかなかそのように生きるのはよほど意識して生きていかないと難しいものです。掲出歌は、まさに過去の後悔と未来の憂いを両方取り上げながら、今自分たちがいる場所において本当に生きているのだろうかと問いかけているように感じます。

過去を悔い、未来を憂うことは、自分の意識が過去にいったり、未来にいったりしているということでしょう。そうなると、今この瞬間を見つめることができません。過ぎ去ったことをいつまでもうじうじ考えて悩んだり、まだ起こってもいないことを不安に感じているのは、本当に今現在というこの瞬間を生き切っていないからでしょう。

「空しい息をしてゐる」からは、現在の時間をただむなしく消費しているだけである様子が伝わってきます。このむなしさは、今を見つめていないこと、すなわち今を生きていないことからきているのでしょう。

もし、今を見つめることができれば、現在の呼吸は決して「空しい」ものではなくなるはずです。しかし、冒頭でも触れた通り、今を見つめて生きることは今に意識を集中しなければなりません。漫然と生きていると、ついつい思考は過去へいったり、未来へいったりしてしまいます。そうなると、現在という時間の密度が薄まり、今が「空しい息」で充たされてしまうのではないでしょうか。

「ぼくたち」は、「空しい息をしてゐる」という認識はあるのでしょう。ですから、むなしさをなくすには、過去の後悔と未来の憂いに焦点を当てなければいいということになるのでしょうが、一筋縄ではいかないことも滲み出てきているでしょう。

「やけに」が挿入されることで、この「空しい息」は簡単には解消できないような雰囲気が強まっており、「やけに」が重たく響いてきます。

「空しい息」のまま、未来に至ったとき、「ぼくたち」は同じように「空しい息」をしているのでしょうか。それとも、もう「空しい息」ではなく、今を充分に見つめながら充たされた「息」をしているのでしょうか。

息をすることは生きていることそのものともいえますが、「ぼくたち」のどうしようもない現在の姿が表れた一首だと感じます。

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