青空をみずてすぎなむわが一生あはれみて鳴くカラスも妻も
坂井修一『アメリカ』
坂井修一の第六歌集『アメリカ』(2006年)に収められた一首です。
「あなたは通勤途中に空を見上げていますか」
このように質問されて、「はい、見上げていますよ」と答えられる人は、割と心に余裕のある毎日を過ごしているのではないでしょうか。広がる青空を見つめることはとても気持ちがいいものだと思います。
日々仕事で忙しくしていると、空を見上げる余裕がないかもしれません。まして、屋内で勤務する仕事であれば尚更でしょう。勤務開始から勤務終了まで、外の景色を一切見ていないということも珍しくないのではないでしょうか。
掲出歌は「青空をみずてすぎなむわが一生」と詠い出されています。現在も青空を見る余裕がある毎日ではないのでしょうし、今後も見る余裕が訪れる気配もないのだと思います。
そのような主体の姿を見て、カラスも妻も憐れんでいるのです。いや、カラスはただ鳴いているだけであり、主体を憐れんでいるかどうかはわかりません。しかし、主体はカラスの鳴き声を聞いて、自分が憐れまれていると感じるほどに、鳴き声にさびしさを感じたのではないでしょうか。
妻も憐れんでいます。妻が「あはれみて鳴く」というのは、本当にかわいそう、何とかしてあげなければという感じではなく、若干の距離感をもって、夫である主体をやや冷静に見つめている様子が窺えます。青空を見上げる余裕ができればいいけど、といった感じでしょうか。
さて、主体は「青空をみずてすぎなむわが一生」といっていますが、そう気づいているのであれば、今からでも空を見上げることはできるでしょう。空を見る余裕がないと思い込んでいるから青空を見ることができないのであって、自分自身の選択でいくらでも空を見る機会はつくることができるはずです。
しかし、今のこの現状を変えるのは難しい、空を見る余裕はないという思い込みがなかなか払拭できないくらい、今の現状に追い込まれているのかもしれません。
ただ、青空の存在すら忘れ、誰からも憐れまれることのない状況に比べれば、「あはれみて鳴く」カラスと妻がいることが何よりの救いなのかもしれません。
主体自身が自分の置かれた状況を客観的に見つめていることに、今後青空を見上げる機会がきっと訪れるのではないかという期待が滲んでいるように感じる一首です。

