ししおどしの音と音との間に棲むわけのわからぬものが人の生
宮本永子『青つばき』
宮本永子の第三歌集『青つばき』(2013年)に収められた一首です。
「ししおどし」は「鹿威し」の漢字の通り、田畑を荒らす鹿を始め野性の動物を脅かして追い払う装置です。現在では、そのような駆除よりも日本庭園の装飾としてよく見られます。
竹筒に水がいっぱいになると竹筒が傾いて、戻るときに石を打つ音が何とも心地よく響きます。
さて、このししおどしを題材にした歌ですが、ししおどしそのものではなく人生について詠っています。人生とは何かといえば「ししおどしの音と音の間に棲むわけのわからぬもの」であると捉えているのです。
ししおどしが「コン」と鳴る音と音の間にあるものは、静寂ではないでしょうか。庭園に置かれているししおどしは、音が鳴る瞬間を楽しむものでもあるかもしれませんが、音が鳴る時間よりも、鳴らない時間の方が圧倒的に長いわけです。その鳴らない空白の静かな時間こそ、ししおどしの魅力なのではないかと思います。
端的にいえば、空白や静寂こそが「ししおどしの音と音の間」にあるものだと思いますが、この歌ではそのような四角四面の切り取り方ではなく、「わけのわからぬもの」であるというのです。この捉え方が非常に面白いと感じます。
しかも「棲む」ですから、何か人間の力ではどうしようもない、把握できない出来事が「音と音の間」にあるのだと思わせてくれるのです。
人生は、過去を振り返ったとき、ある程度自分の人生を整理して、俯瞰して、そして冷静に見つめることができるかもしれませんが、真っただ中、今現在の渦中の人生は、なぜこんな目に遭うのだろうかと思うこともしばしばでしょう。まさに「わけのわからぬもの」の連続なのではないかと感じながら生きているといってもいいかもしれません。
もちろん「わけのわからぬもの」は悪い面だけではなく、いい面もあるでしょう。どうしてこんなにうまくいったのかわからないけど、うまくいっていると感じる時期もあると思います。いずれにしても「わけのわからぬ」という表現が、いわれてみればしっくりくるように思うのです。
ししおどしの音と音の間はそれほど長くありません。ひょっとすると人生も初めの音が鳴ってから次の音がなるまでの、とても短く儚いものなのかもしれません。「わけのわからぬもの」に翻弄されながらも、何とか生き延びているうちにやがて死が訪れる、そんなものかもしれません。
でも、そのような人生というものを悲観する必要もないでしょう。どうせ「わけのわからぬもの」なのであれば、人生を楽しんでやるくらいの心構えをもって、「わけのわからぬもの」として認識して生きていけばいいのでしょう。開き直るという感じでしょうか。単に人生を悲観するよりも、その方がよほど人生を充実させることができるのではないでしょうか。
人生をどう捉えるかは人によってさまざまですが、この歌のような捉え方はとても魅力的だと感じます。

