雨傘を泥につきさしながら行く何かを君に誓いたき日は
江戸雪『駒鳥』
江戸雪の第四歌集『駒鳥』(2009年)に収められた一首です。
「君」は恋人でしょうか。家族でしょうか。恋人であるのか家族であるのか、主体と「君」がどういう関係なのかははっきりわかりませんが、誓いたいと思えるほどの相手であることから、親しい間柄の人であるのは間違いないように思います。
「何かを君に誓いたき日」と詠われていますが、めったに訪れることのない特別な一日なのでしょうか。それとも、「何かを君に誓いたき日」は一年のうちに何度も訪れる日なのでしょうか。この歌では、特定の一日としての「誓いたき日」でしょうが、同様の「誓いたき日」は詠われていないだけで、幾度も訪れるのかもしれません。
また、具体的に何を誓うのかは明確にされていません。それは読み手にとって明確にされていないだけでなく、主体自身もおそらく「何か」を明確にできずにいるのではないかと感じます。
君に誓いたいという思いはあるのだけれど、何を誓えばいいのか、それははっきりとわからない、そんな状況なのではないでしょうか。
さて、そんな君に何かを誓いたいと思う日に、主体は「雨傘を泥につきさしながら行く」のです。
雨上がりでしょうか、あるいは畦道のようなところかもしれません。泥があるところですから、都会のど真ん中というわけではなさそうです。しかも、突き刺せるくらいの泥ですから、うっすらと泥がある程度ではなく、やはり傘の先が泥に一定の深さ埋まるくらいの場所なのでしょう。
「泥につきさしながら行く」主体の感情はどのようなものでしょうか。
突き刺すとなれば、穏やかならざる感情といった印象があります。特に怒りの感情に結び付けがちですが、この歌の場合は、怒りの感情はほとんど感じられず、むしろ迷いの感情や、決めかねているといった印象が強いように思います。迷う気持ちが、「雨傘を泥につきさしながら行く」という行動を引き起こしているのではないでしょうか。
では、一体何に迷っているのでしょうか。何を決めかねているのでしょうか。
その迷いは、この歌に登場する「何か」が決定できないもどかしさのようなものかもしれません。
君に誓いたいという思いは、傘を泥に突き刺すという行為の強さに表れているのでしょうが、何度も何度も突き刺すという行為は、「何か」を見つけられないまま求め続けている思いの表れのようにも感じます。
「何か」が明確にされないことで、逆に歌に膨らみが生まれていると感じられる一首だと思います。


