tankalife「人生を1mmでもよくしたい」の第43回(「存在」の第4回)です。今回は「空を見上げれば、空の存在に救われる」と題して、空があることのありがたさについて見ていきます。
空を見ていますか。最近、空を見上げたのはいつでしょうか。
通勤や通学の途中でも、休日に外に出かけるときにも、空は広がっています。でも、スマホばかり見ていたり、顔を落として歩いていたら、今日の空がどのような表情をしていたか覚えていることは少ないのではないでしょうか。
特に、気持ちが沈んだとき、落ち込んだとき、元気が出ないときはついつい頭も下がり気味になってしまいますね。でも、そういうときほど、次の言葉を意識するようにしています。
「つらいときほど、上を向こう!」
空はいつでも頭上に広がっています。晴れた空はもちろん気持ちがいいものですが、曇り空には曇りの穏やかさがあり、雨の空も雨の空で趣きがあって、それはそれでいいものです。
空は味方です。自分の気持ちがいくら沈んでいたとしても、空はいつもそこにあります。空は決して隠れたりしません。ありがたい存在です。
私も空の存在に救われたことは何度もあります。
私が青年海外協力隊員として赴任していたときです。ザンビア共和国の中部に位置するチンゴラ(Chingola)という町に派遣されたのですが、赴任時にその町に日本人は私しかいませんでした。現地の同僚たちの明るい笑顔はいつもありましたが、やはり日本人一人でいるというのは、ときに心細くなることもありました。そんなときは空を見るようにしていました。幸いにも、チンゴラはあまり高い山がなかったため、空が遠くまで広がっているのがよく見えました。そして、晴れている日が多かったです。ですから、一日一度は勤務先の学校から少し歩いた見晴らしのよい場所から、どこまでも広がる空を眺めていました。やっぱり空はいいですね。どんよりとしている心も、やさしく包んで浄化してくれました。
私は今でも、つらいときほど、空を見るようにしています。うつむきがちになったら、空を意識します。空は、「生きているだけでいいよ」と、そう語りかけてくれる存在です。
それでは、空の存在の偉大さやありがたさを感じる短歌を見ていきたいと思います。
雲間から空が見えれば大丈夫地球に生きるとこしえの日々 笹本碧『ここはたしかに 完全版』
人間は神ではなくて誰だって神ではなくて 空がまぶしい 笹本碧『ここはたしかに 完全版』
一首目。「空が見えれば大丈夫」という言葉にとても安心します。
空はいつも広がっているのに、下を向いてばかりいたら、空に気づかないまま一日を終えてしまうでしょう。空の存在をまったく意識しない一日だったなんていうことにもなりかねません。ほんの少しの間でもいいので、空に意識を向けてみてはどうでしょうか。そうすれば、きっと大丈夫と感じられるでしょう。頭で考えるのではなく、感じることができるはずです。
「地球に生きるとこしえの日々」からは、地球という大きな存在、そして悠久の時間が感じられます。
二首目。人間は神ではありません。もし神になれたら、自分の人生を思い通りにできるかもしれまん。しかし、いくら神に憧れ、神になりたいと思っても、人間は人間として生きるしかないのでしょう。
ただ、人間は神でないがゆえに、人間が全能でないがゆえに感じられることがあるはずです。そのひとつは「空がまぶしい」ということかもしれません。人間だからこそ、空の存在に感謝し、空が一層まぶしく感じられるのではないでしょうか。空のまぶしさを素直に味わえるとは、何とすばらしいことでしょう。
ああぼくはこの青をみるためにだけけふまで生きてきたやうな空 沢田英史『異客』
空を見て、生きていると実感できるなら、それはとても幸せなことだと思います。
この歌は「この青をみるためにだけ」と詠われており、空の青そのものだけに意識が集中している状況でしょう。このとき、この場に余計な考えは一切生まれていません。それほどまでに、この日の空の青は美しく、主体の心に響くものだったのだと思います。
「この青をみるためにだけけふまで生きてきた」といわしめるほどの空の青。その空の青だけを感じて、空の青に感謝できること。それが、生きてきてよかったと心底思えるのでしょうし、生きているという実感につながっているのではないでしょうか。
ニュースにはならない日にも虹は出て消えて私がおぼえています 枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』
雨上がりの空に大きな虹が架かっているのを見ると、うれしくなりませんか。私はうれしくなって、ついスマホで写真を撮ってしまいます。そして、虹が見られたことをラッキーだなと感じます。このタイミングで偶々外にいて、このタイミングでこの場所にいて、このタイミングで空を見上げて、虹に会うことができたのですから。
ニュースになる日、つまり話題になるような日が連続するという人は稀でしょう。大抵は大きなイベントも起こらず日常は過ぎていってしまいます。でも、そんな日にも虹が架かっているのを見ることはあります。虹を見たことは、他人にとっては大きな出来事ではないかもしれません。まして、よほど珍しいかたちの虹が出ない限り、ニュースにはなりません。しかし「私」にとっては、心が動いた出来事だったのではないでしょうか。「私がおぼえています」で充分なのです。虹が出て消えるまでを覚えている日があるなんて、なんて素敵なのでしょう。
空を見上げるとき、空の広さを感じることはもちろんですが、虹に偶然出会うことも楽しみのひとつですね。
アテンション・プリーズ散歩のみちに遭う一つの雲のこんな優しさ 杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』
こちらは空に浮く雲を詠った歌です。
雲のかたちは自由自在です。今見た雲と、十秒後の雲はもう同じかたちではありません。刻々と変化していっているのです。「散歩のみちに遭う」というのも、その場限りの偶然の出会いの様子が伝わってきます。まさに一期一会でしょう。
そして「一つの雲のこんな優しさ」からは、雲のふんわりとしたやわらかさと優しさが充分に伝わってくるのではないでしょうか。
「アテンション・プリーズ」がいいですね。うつむいて歩いているときにこういわれると、思わず空を見上げてしまうのではないでしょうか。空を見てよと気づかせてフレーズですが、こういわれないと、またうつむいたまま歩いてしまっていそうです。
空を、そして雲を見上げる喜びが伝わってくる一首だと思います。
この星にひかりを送りおほぞらをゆく太陽は無事故何億年 高野公彦『水苑』
空と太陽が詠まれています。
太陽は地球を毎日毎日照らし続けてくれています。しかも、太陽は光を送り続けてくれているのですが、その光の使用料を請求することはありません。太陽熱と明るさの恩恵は計りしれませんが、すべて無料で使わせてくれているのです。何ともありがたいことではないでしょうか。
しかも「太陽は無事故何億年」なのです。太陽が誕生してから、そして地球が誕生してから、地球が太陽の光を受けることになってから無事故なのです。これは考えればすごいことではないでしょうか。
「無事故何億年」という表現をもって詠われることで、太陽の存在のすばらしさが際立って感じられるでしょう。「おほぞらをゆく太陽」に感謝して、今日も生きていきたいものです。
冬晴れの大蒼穹の下にゐて我は一塵、はた一珠? 高野公彦『渾円球』
空を見上げると、広大な空の存在に感謝する一方で、対比するように、自分という存在が何かを意識する瞬間があるのではないでしょうか。この歌も、冬晴れの空の下に立っている自分を見つめている歌でしょう。
「一塵」と「一珠」は仏教用語でしょうか。「一塵」は、ひとつの塵のように極めて小さな単位を意味します。また「一珠」は、数珠を構成するひとつの珠を指し、ひとつひとつの珠には煩悩が宿っているとのことです。
いずれにしても、空の大きさに比べると、自分という存在はとても小さなものですし、煩悩もあるでしょう。空の存在には遠く及ばない自分ですが、それでいいのでしょう。空は空としての役目があり、自分は自分という存在で充分だと思います。
大切なことは、自己評価を下げたり、自己を卑下しないことです。「一塵」でも「一珠」でも、ここに生きていることが、存在していることがすばらしいことだと思います。
「大蒼穹」という表現がいいですね。「冬晴れの大蒼穹」の広大な様子が伝わってきて、改めて空の存在の偉大さを感じさせてくれる一首です。
水甕の空のふかどの青みどりいのちに換ふるものありやなし 三井ゆき『空に水音』
「水甕の空」とは、水甕に入っている水に映っている空というふうにも読めますし、また水に充ち溢れた水甕のような空というようにも読めると思います。その空の深いところの「青みどり」を注視している場面でしょう。
この上句「水甕の空のふかどの青みどり」を読むだけで、とても美しく、穏やかで、広がりのある雰囲気が伝わってこないでしょうか。
そして「いのちに換ふるものありやなし」と続きます。つまり、命と交換できる何かがこの世にあるだろうかという意味でしょう。
主体はこのように問いかけていますが、実際は「いのちに換ふるもの」はないのではないかとすでに感じているのではないでしょうか。それは「水甕の空のふかどの青みどり」の美しさを通して得られた、命に対するかけがえのなさの実感なのだと思います。
空の存在を通して感じる自分の存在を見つめる一首だと思います。
以上、空を詠った歌を見てきました。
空の力は偉大だと感じます。もし空がなければと考えてみてください。空のありがたさにきっと気づくのではないでしょうか。
空はどこまでもつながっています。もし、あなたの大切な人が遠くに離れていたとしても、空を通してつながることができるでしょう。
落ち込んだとき、気分が乗らないとき、人生に行き詰まったときなどは、空を見上げてみてはどうでしょう。
公園の小高い丘に上がると、建物が視界から少なくなり、空の面積がわずかに増えます。より一層空に包まれている、そんな心地にならないでしょうか。空を優雅に飛ぶ鳥を眺めて、のんびりするのも悪くありません。
空を眺めると、気持ちが楽にならないでしょうか。
空を見上げれば、空の存在に救われる。
私はそう信じています。




