傘の歌 #2

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傘の短歌

傘を振り落ちないしずくと落ちるしずく何が違っているのでしょうか
工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』

工藤吉生の第一歌集世界で一番すばらしい俺(2020年)に収められた一首です。

雨傘のしずくを掃おうとしたとき、いわれてみれば確かに、「落ちるしずく」と「落ちないしずく」があります。

掲出歌は、なぜ落ちるのと落ちないのとがあるのかという疑問をストレートに投げかけています。見た目は、クイズの問題文のようなかたちとなっていますが、クイズ形式のような読み手に対する問いかけというよりも、自身の疑問として浮上してきたことを自分自身に問いかけているような印象があります。

さて、この一首で、一体何を読み手に訴えかけようとしているのでしょうか。

実はあまり深い意味はないのかもしれません。日常の中のふとした疑問が五七五七七という短歌の形式に乗ったとき、何かしら意味があるように感じてしまうものですが、それは読み手が勝手に想像している場合もあるでしょう。

やや踏み込んで深読みすれば、この「しずく」を、人間や人生の喩えと捉えることもできなくはありません。「傘を振り」は人生における苦難や障害と捉えれば、それらに耐えて落ちない人間もいれば、苦難や障害に耐えきれずに振り落とされてしまう人間もいると読むことも不可能ではないでしょう。自分自身のこれまでの人生と重ねて読むこともできると思います。

このあたり、どのように捉えるかは読み手の自由にあるため、一首から想像するものはさまざまです。

しかし、あまり飛躍させすぎず、語義通り受け取って読んでもいいのではないかとも思います。純粋な疑問として「落ちないしずく」と「落ちるしずく」があるのはなぜなのか。違いは一体何なんだろうか。

これがもしクイズの問題文だったらどうでしょう。短歌という形式として差し出される場合と、クイズの問題文として差し出される場合では、受け取り方に差が出てくるのではないでしょうか。そう考えると、まるでクイズのような問いかけが短歌形式で提示されること自体に、意味があるような気がしてきます。いや、このような意味があるという思いすら錯覚かもしれません。しかし、歌集に収められ、短歌として出されると、読み手はクイズではなく、短歌として読まざるを得ないと思います。

どのような意味の歌なのか、何かの比喩として捉えるのかは、読み手に委ねられますが、どのように読むとしても、短歌として提示された場合、短歌として読む必要だけは読み手の共通事項としてあるように感じます。

日常の中のふとした疑問を詠いながら、どこか抽象度の高さを思わせる一首だと感じます。

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