今日は寒かったまったく秋でした メールしようとおもってやめる する
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』
永井祐の第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(2012年)に収められた一首です。
季節は秋。しかも「まったく秋」というほどの、秋中の秋だったのでしょう。
「秋」と聞くと、「天高く馬肥ゆる秋」のような快晴の過ごしやすい一日を想像してしまうものですが、この歌の場面は「寒かった」一日を詠っています。「まったく秋でした」から、夏が終わり、秋に差しかかる頃を詠っているのかもしれません。
誰にメールしようとしたのでしょうか。恋人でしょうか、友人でしょうか、あるいは仕事関係の相手への事務的なメールでしょうか。
メールをしようと思って、メールを送る行動に移ろうとするのですが、気が変わって一旦メールを送るのをやめてしまいます。しかし、ここでは終わらず、やっぱりメールを送信したのです。
「やめる」の後の一字空け、そしてたった二文字の「する」といういいきりの言葉。ここがこの一首の最大のポイントだと思います。
ここに、メールを送信しようかどうかという迷い、また決断の過程が、時系列を伴ってとてもリアルに伝わってきます。「やめる」の後に、「けれど」などの逆説の接続詞などを用いず、一字空けを置いたこと、そして結果だけを最小限の文字数で表す「する」という言葉によって、これらの効果がもたらされていると思います。
「やめる する」を読むときのテンポは、若干速くなるように感じます。もし下句が「メールしようとおもってやめる」であれば、定型の七・七にぴったり音数は合います。しかし、ここで「する」が追加されてくることで、結句は九音になります。一字空けの空白も一文字と考えると十音の長さとなります。したがって、結句を読むときに、一首の終わりに近づけば近づくほど、どうしてもテンポが速くなると思います。そのテンポの速さが、「やめる する」の決断の変化を表しているような気がして面白く感じます。熟考して、メールを「やめる」から「する」にしたというよりも、一旦「やめる」と思って、割とすぐに「する」へ変更した感じがするのではないでしょうか。
「やめる する」を導いたのは、この日の気候も関係していたのかもしれません。「今日は寒かったまったく秋でした」の初句二句の句跨りが、通常とは異なる一日の演出に一役買っているのではないでしょうか。
「やめる する」のところは何度読んでも、主体の気持ちの変化を感じることができ、惹かれる一首です。

