【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【存在②】今「ある」ものに感謝する

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【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【存在②】今「ある」ものに感謝する
tankalife

人生を1mmでもよくしたい」の第41回(「存在」の第2回)です。今回は「今「ある」ものに感謝する」と題して、「ある」を見つめれば人生が充実することについて見ていきます。

人生をよりよくしたいと思ったとき、即効薬のようなものはあるのでしょうか。

実はあるのです。しかも誰でも今すぐにでもできる方法が。

その方法とは、「ある」を見つめることです。今自分がもっていないものを見るのではなく、もっているものに目を向けるだけ。それだけです。でも、それだけで幸せを感じられるから不思議です。

もっているものなんて何もないという人もいるかもしれませんが、よくよく見てみれば、もっているものはたくさんあることに気づくはずです。例えば、次のようなものです。

  • 雨風を凌げる家がある
  • 安心して眠ることができる部屋がある
  • 毎日三食食べられる
  • 空が晴れている
  • 太陽が出ていてあたたかい
  • 怪我をせず無事に一日を終えることができる
  • 家族がいる
  • 友達と話すことができる
  • 生活できるだけの収入を得る仕事がある …

これらを見つめて感謝すると、あれもこれも足りないと思っていた自分の人生が途端に充たされたものとして輝きはじめないでしょうか。

一方で、ないものばかりに意識を向けてしまうと、人生の充実度は下がっていくでしょう。

  • 高級車をもっていない
  • タワーマンションに住んでいない
  • 高級レストランでディナーを食べることができない
  • 恋人がいない
  • お金がない
  • 給料が安い
  • 昇進しない …

足りないことをいくら数えても、欠乏感が生まれるだけではないでしょうか。足りない方にばかり意識が向くと、今あるものに対する感謝が薄れてしまいます。それは非常にもったいないことだと思います。

要は「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」をすることが大切なのです。

フランスの小説家・詩人であるジュール・ルナールは次のようにいっています。

毎朝、目を覚すたびに、お前はこう云ってもいいだろう――「目が見える。耳が聞こえる。体が動く。気分も悪くない。有難い! 人生は美しい」

(ジュール・ルナール『日記』) (紀田順一郎『翼のある言葉』より)

朝起きて、生きていること自体がすばらしいことなのです。

私も以前は、ないものを見つめる達人でした。勉強についていけない、スポーツが得意ではない、うまくしゃべれない、自分という人間が面白くない、特技がない、恋人がいない…。でも、「ある」を見つめることの大切さを知ってからは、ないものを見つめることをやめました。今の自分の状況をすぐに変えることができなかったとしても、自分の意識を変えるだけで、今この瞬間から人生を幸せに感じることはできるのです。

それでは、「ある」を見つめる視点が感じられる短歌を見ていきましょう。

もうたりひんことをかぞえるひまはない
このひとたちと生きていきます 今橋愛『としごのおやこ』

「もうたりひんことをかぞえるひまはない」という宣言のようなフレーズが力強く迫ってきます。このフレーズからは、足りないことを見つめるよりも、今あるものを意識して生きていこうとする思いが感じられます。

限られた人生の時間において、どこに、どのように目を向けて生きていくかで、人生の充実度は大きく変わってくるでしょう。お金であれ、モノであれ、地位であれ、人間関係であれ、自分が手にしていない部分に目を向けることは、常に不足感にとらわれた日々を送ることにつながってしまいます。一方、今あるものに感謝するという視点をもって生きていくことができれば、人生は豊かになるでしょう。

確かに、自分が望むものが手に入っていない状況はあるかもしれませんが、そのようなときでも、今あるものに目を向けるだけで、自分の人生は案外恵まれていると気づくことができるのです。

「このひとたち」はおそらく家族を指しているのではないでしょうか。足りないものを考えるよりも、今あるものを見つめ、そのあるものに感謝しながら、家族と一緒に生きていこうとする思いが豊かに感じられます。「このひとたち」と私がそこにいる、それだけでもう充分満たされているというあたたかさが伝わってきます。

湯気のたつごはんがあって父がいてあなたにたまに逢えて 生きてる 藤島秀憲『すずめ』

こちらも家族や大切な人の存在に対する感謝の歌です。生きていることに対する感謝や喜び、すばらしさが伝わってきますね。

「湯気のたつごはん」を食べることができること、「父」が傍にいること、そして「あなた」に逢えること。これらは日々の生活において、何となく当たり前に感じてしまいがちですが、改めて見つめると得がたいことであると同時に、その状況をありがたいと感じるものなのではないでしょうか。

ご飯を食べることを当たり前と思わずに、今日もおいしいご飯を食べることができたことに感謝する。このような考え方で生きていくと人生がとても充実してきます。父がいる、あなたに逢えるも同様です。

ご飯が食べられない状況、父がいない状況、あなたに逢えない状況を想像してみればわかりますが、「湯気のたつごはんがあって父がいてあなたにたまに逢えて」は何も当たり前のことではなく、とても恵まれたことだと感じるでしょう。

「生きてる」には、単に命をながらえているという意味ではなく、今生きていることに感謝し、とても充実して生きている思いが凝縮されているのではないでしょうか。

今日眠るふとんあります明日食べるパンもあります祈りのゆびも 岸原さや『声、あるいは音のような』

「今日眠るふとん」があること、「明日食べるパン」があることも決して当たり前ではありません。一見、当たり前だと思いがちなものに対して、感謝をもって真っ直ぐに見つめて生きることができれば、それは本当に素敵なことだと感じます。

「祈りのゆび」は、明日へ祈りをささげる指を差しているのでしょうか。眠る前にいいことを浮かべる、日々あるものに感謝するといった、物事に対する真摯な接し方が伝わってこないでしょうか。

ある、ある、ある、すべてがあるという美しさの中で柔らかい 早坂類『黄金の虎』

「ない、ない、ない」ではなく、「ある、ある、ある」。「すべてがある」というふうに捉えられたら、どんなに人生が充実してくることでしょうか。同じ風景を、同じモノを見て、「ない」という不足を探すのではなく、「ある」という充足を捉えること。そこから見える世界はきっと美しいのでしょう。行き詰まったときは「ある、ある、ある」と声に出してみましょう。不思議と心が落ち着いて充たされていかないでしょうか。

「足りる」に目を向ける

ここで「足りる」ことに関して触れたいと思いますが、京都の龍安寺にいったときに見た「足るを知る」蹲踞(つくばい)が印象に残っています。

枯山水の石庭で有名な龍安寺は、臨済宗妙心寺派のお寺です。寺の中にある蹲踞(手を清めるために置かれた背の低い手水鉢)に刻まれた文字がよく知られています。

その言葉とは吾唯足知(ワレタダタルコトヲシル)です。蹲踞の中央の水穴を(くち)の字に見立て、周りの四文字(五・隹・疋・矢)と共用し「吾唯足知」となっています。「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言を図案化したものとされていますが、簡単にいうと満ち足りた状態を知るということなのだと思います。際限なく求めるのではなく、今あるもの、今自分にとって必要なものの量を知るということです。

人間の欲望というのは計り知れないところがあり、ついついあれもこれもと求めてしまいがちです。それはある面においては、行動力を促す原動力となる部分であると肯定的に捉えることもできます。しかし、求めても求めても満ち足りた状態に感じられないとすればどうでしょうか。満足できないということは大変怖いことだと思います。そして何より、求め続けるばかりで満足できない状態が幸せかどうかと問えば、疑問を抱かざるを得ないでしょう。

お金に例えてみましょう。一生かかっても使いきれないような莫大な財産をもっていたとしても満足できない人と、それほど多くの財産はないがそれで充分満足している人がいるとします。先ほどの禅の格言にもありましたが、財産の多寡ではなく、現状の財産に満足している人の方が幸せ度合いでいえば幸せなのではないでしょうか。自分にとっての必要量はどれくらいなのか、どの程度で満足できるのかを知ることが大切だと思います。それは財産が多かろうが少なかろうが関係ありません。満足できるか否かということなのです。

「吾唯足知」とは、まさに満ち足りているという気持ちをもてるのかどうかなのだと思います。現状において、不満なこともあれば納得いかないこともあります。ついついないものに目が行きがちですが、あるものに目を向けるということが大事なのでしょう。今あるものに目を向けるということは、自分がもっているものに目を向けることです。つまり、自分がもっているものを見つめて、自分は満ち足りているのだと考えることができるのです。もし、ないものに目を向けてしまえば、自分は満ち足りていないと考えてしまうことになるでしょう。

次の二首は、「足りる」を見つめた視線を感じます。

バスタブに五分でお湯は満ち足りて小さいことは素敵なことだ 岡本真帆『あかるい花束』

駅前でもらうティッシュは二つまで もてる荷物で生きてゆきます 高田ほのか『ライナスの毛布』

一首目。小さいバスタブより、大きいバスタブの方が、脚もゆっくり伸ばせていいなあと思うこともありますが、この歌は「小さいことは素敵」と詠っています。小さいバスタブであるからこそ、五分でお湯が満ち足りるのです。もしも大きいバスタブだったら、十分以上かかってしまうかもしれません。大きいには大きいなりのよさがありますが、小さいには小さいなりのよさがあります。ただ単に小さいと残念がるのではなく、今ある小さいバスタブのいいところにいかに目を向けるかが大切なのでしょう。

二首目。無料配布のティッシュはもらおうとすれば、いくつももらうことができるでしょうが、「二つまで」と自分の中のルールを決めていることが窺えます。「二つまで」という限定が、「もてる荷物で生きてゆきます」と呼応しています。

生活する中で、モノをどれだけ抱えこむかの基準は人それぞれです。捨てるのがもったいないと何でもかんでも保管していたり、古くなったものでも大事に使っていたりする人がいる一方、ミニマリストやシンプリストといった人たちに代表されるように、限られたモノだけで生活する人もいます。

ポケットティッシュ二つはそれほどかさばらず、また重くもありません。ですから、ここでいう「もてる荷物」は、たくさんの荷物ではなく、むしろ必要なものだけを厳選した少なめの荷物を意味しているのだと思います。「もてる荷物で生きてゆきます」という宣言が清々しく、「足りる」心を表していて心地よく響いてきます。

さて、上で触れた「吾唯足知」に関連するのですが、イギリスの作家であるギルバート・キース・チェスタトンに次の言葉があります。

満足するには二つの方法がある。一つはもっともっとと集め続けること。もう一つは、多くを望まないこと。

(ギルバート・キース・チェスタトン)

この言葉で注目したいのは前半ではなく、後半部分です。前半のもっともっとと集め続けているうちの満足は、初期の段階では満足できるでしょう。しかし、やがてどこかで終わりを迎えなければならないのではないかと思います。集め続けるということはキリがないことをずっと繰り返していかなくてはならない状態です。ひとつを得れば、次のひとつを求めていかなければなりません。それには体力も精神力も要るでしょう。

一方後半の「多くを望まない」というのは、まさに「吾唯足知」の精神を表しています。多くを望まないということは、一見諦めてしまっているように感じるかもしれません。でもそれは違います。多くを望まないというのは、今ある現状を満ち足りた状態だと感じることができるということです。それはとてもすばらしいことだと思います。

人はあれもこれも欲しいと思うときがありますが、すべてを手に入れることはなかなか難しいものです。手に入れるにはラッキーが起こらなければならなかったり、時間がかかったりすることもあるでしょう。そんなとき現状に満足できずイライラしていたら、大変もったいないことです。今この瞬間を生きるに当たり、多くを望まないという考え方も、満足するためにはとても有効なのかもしれません。そして、満ち足りた状態を知るということは、自分の人生を豊かにする重要な方法となるのです。

今「ある」ものにもっと目を向けることができれば、その現状を肯定できる可能性が充分にあるでしょう。

しかし、なかなか今「ある」ものに感謝する意識が向かないというときもあるでしょう。それは慣れていないだけかもしれません。

日々、今「ある」ものに感謝する習慣をつけていくといいのですが、そのためのひとつの方法として、感謝するタイミングをルーティン化することも有効でしょう。

私はコンピュータのパスワードを入れるたびに、自分のすべての持ち物に感謝し、幸せを実感しています。(ピーター・フォヨ) (ロンダ・バーン『ヒーロー』)

このような方法もあるのですね。

私も例外ではありませんが、感謝をついつい忘れてしまいがちだと感じる方は、パソコンやスマホにパスワードを入力する際、「ある」ものに感謝してみる習慣をつけるのもいいのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、「ない」ものに目を向けるのではなく、「ある」ものに目を向けることが大切であり、「ある」ものに感謝することができれば、人生はもっとすばらしく幸せに感じられると思います。

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