【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【存在①】生きているだけでイエス

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【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【存在①】生きているだけでイエス
tankalife

人生を1mmでもよくしたい」の第40回です。今回から「存在」について見ていきたいと思います。「存在」の初回は「生きているだけでイエス」と題して、ありのままの自分を認めて生きることについて見ていきます。

「自己肯定感」という言葉をよく聞くようになりました。自己肯定感とは、ありのままの自分を肯定する感覚のことで、他人との比較ではなく、欠点を含めてそのままの自分を認めることです。

自己肯定感が低い人の特徴として、自信がない、消極的、些細なことで落ち込む、人間関係に悩むなどが挙げられます。一方、自己肯定感が高い人はその反対で、自分を信頼しているので自信があり、積極的です。また何が起こっても自分を大切に考えているので、落ち込むことがほとんどありません。

自己肯定感を高めることは、人生を生きやすくしてくれます。自己肯定感を上げましょうとしきりにいわれるのは、結局のところ、人生をよりよく生きていくためなのです。

自己肯定感を上げようとするときのポイントは、「欠点を含めてそのままの自分を認める」ことだと思います。つまり、偉大な自分に成長しないといけないとか、欠点を改善して前進しなければならないと考えるのではなく、今の自分をありのまま肯定することが大切でしょう。それこそが、自己を肯定することなのです。

自己肯定できれば、今のそのままの自分でいいのだという思いになり、以前に比べ、生きやすく感じるのではないでしょうか。

まずは、自己肯定を詠った歌を三首見ていきましょう。

〈自己肯定〉できていますか?チャーハンの中のなるとのピンクのかけら 北山あさひ『ヒューマン・ライツ』

肯定を必要とする君といて平気平気が口ぐせになる 枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』

靴下のたるみをなおす要領で俺を肯定したい日もある 枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』

一首目。ナルトとは好きでも、チャーハンの中に入っているのはあまり好きではないという人もいるかと思います。でも、ナルトはナルトでそんなことは充分承知しています。ナルトは自己肯定して、チャーハンの中にしっかりと存在しているわけです。同じように、あなたは自分自身を自己肯定できているのかと問われているような歌です。

二首目も面白いですね。「肯定」を前提としていると、「平気平気」が口癖になるのですね。マイナスの言葉はいつしか消え去って、言葉も思考もプラスへ傾いていくのでしょう。

三首目は、肯定の仕方が面白いです。「靴下のたるみをなおす要領」に、たるんだ自分をシュッと引き締めるような様子が窺えます。ただ自分に対して無理をしている感じはありません。何も自分を肯定することを難しく考える必要はないのです。靴下のたるみをなおすのと同じように、気持ちを楽に肯定してみてはいかがでしょうか。

さて、うまくいかないことや失敗したときに、あなたは自分を責めすぎていませんか。親や上司、友人などから、否定的な言葉を受けたとき、それをそのまま間に受けて、自分は駄目な人間だと思い込んでいませんか。生きていれば、困難・失敗・否定的な発言に遭遇することは少なからずあります。でも、そのときに自分は価値のない人間だと思い詰める必要はまったくありません。ありのままの自分でいいのです。もう少し自分自身を認めてあげてはどうでしょうか。

究極、生きているだけですばらしいのです。

何もできていないと感じる日もあるかもしれません。他人と比較して、落ち込んでしまうときもあるかもしれません。でも、生きているでしょう。生きていることは肯定できると思います。生きているだけで充分すばらしいと思いませんか。生きている自分を肯定してあげてもいいのではないでしょうか。

生きているだけでいいんだ。生きている自分がここにいる、それだけですばらしいことなんだ。そう思えたら今の人生が随分と楽になり、生きていること自体が輝きはじめるのではないでしょうか。

今日までを生きてて良かったんだよね 鳥貴の釜めしまた食べようね 上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』

「生きてて良かったんだよね」と自分を受け入れ、認めることができるのは、やはり素敵なことだと感じます。

「鳥貴」は居酒屋鳥貴族のことでしょう。その釜めしを食べたいと思えるのは、鳥貴の釜めしがおいしいというのはもちろんですが、それ以上に一緒に食べる人がいる、一緒に時間を過ごせるという喜びにあふれているからです。このような喜びがあるからこそ生きていてよかったと思えるし、逆に見れば、生きていてよかったと思えるから釜めしを食べる時間が愛おしいのだと感じます。

ここでは、人生で何を成したか、どんな貢献をしたかは詠われていません。そのようなことよりも、ただ純粋に、生きるというレベルにおいて、生きてきたことを肯定しているのだと感じます。

生きてきたそれだけでいいガジュマルの木陰で飲もう珈琲牛乳 笹本碧『ここはたしかに 完全版』

自己肯定するフレーズと飲食物が登場するという歌の構造は、先ほど取り上げた歌に似ていますが、今度は珈琲牛乳が詠われています。

「生きてきたそれだけでいい」という肯定がまず強く迫ってきます。生きていれば、あれがほしい、これがほしいとないものねだりをしたり、あれも足りない、これも足りないと足りないことに目がいきがちです。しかし、足りないことを見つめるのではなく、今あること、つまり「生きている」ことそれ自体を見つめることができれば、生きているだけでとてもすばらしいことですし、こうやって生きていること自体が充分ありがたいことで、そして奇跡のようなことなのです。

それに気づけるかどうか。足りないこともうまくいかないことも嫌なこともたくさんあるけれど、それでも今生きている自分をそのまま受け入れることができるかどうか。よりよく生きるということは、自分の価値観で自分を認めてあげるということなのではないでしょうか。

珈琲牛乳は、決して高価なものではありません。しかし、何にもましてこの珈琲牛乳が代替できない貴重なものとして浮かび上がってきます。それは、「生きてきたそれだけでいい」と心から思えたからではないでしょうか。「生きてきたそれだけでいい」と感じながら、ガジュマルの木陰で飲む珈琲牛乳のおいしさはさぞ格別なのだと感じます。

「何色のリボンにしますか」生きていてよかったぼくは尋ねられたり 藤島秀憲『すずめ』

誰かに贈るプレゼントを購入している場面でしょうか。

店員はいつものように「何色のリボンにしますか」と尋ねただけでしょう。しかし、このときの主体にとってはプレゼントを買うことも、リボンの色を訊かれることも、とても特別な一コマとして感じられたのだと思います。「何色のリボンにしますか」と訊かれたときの、主体の顔の表情が幸福感に充たされている様子が想像できるのではないでしょうか。「生きていてよかった」と思える瞬間が多いと、人生はもっともっと豊かになるでしょう。

次の歌も生きているだけでいいという肯定感が強く響く歌で、子どもを詠っています。

どんな子になつて欲しいか訊く(やから) 生きてりやいいとしんそこ思ふ 大松達知『ゆりかごのうた』

「生きてりやいい」のです。本当にそう思います。

まず、生きていないと何も始まりません。生きていて初めて、人生について語ることができるのです。生きていること、それだけでもう本当にすばらしいことです。生きていることは当たり前ではなく、奇跡なのです。そこをすっとばして、どうなりたいのかを問う「輩」がいるのでしょう。でも、主体は生きていることそれ自体に対してとても感謝しているでしょうし、かけがえのないことだと感じているのでしょう。

ですから、子がどんなふうになってほしいかは二の次なのです。まず生きていてほしい、元気にいてほしい、もうそれだけで花丸なのです。そう、そのままのあなたでいいよという声が聞こえてきそうです。

私自身についていえば、家にいるとき、子どもが大声を出したり、泣きわめいたりすると、もっと静かにしてくれと、ついつい子どもに当たることもあります。でも、外出してひとりきりになると、ふと思うのです。色々要求したり、こうなってほしいと思ったりすることはあっても、究極生きていてくれる、それだけで充分なのだと。生きていること自体がどんなにすばらしいことなのかを改めて感じるのです。

先の歌のように誕生はすばらしいことです。ただ、この世に生まれることは、自らの意思で選択できるものではありません。望もうが望むまいが、何かしらの大いなる力によってこの世に誕生してきます。ですから、生まれてきた以上、生まれてきてよかったと思う方が、生きていくうえでは幸せでしょう。

次の歌は、まさに生まれてきたことをよかったと思うのか否かを問うような一首です。

生まれたくなかったなんて思わずに生きてこられたという僥倖 水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』

僥倖(ぎょうこう)」は「思いがけない幸運」の意味。「生まれたくなかったなんて思わずに生きてこられた」というふうに感じることができるのは、本当に幸運ではないでしょうか。「生まれたくなかった」と思わずにいることは、生きることにフィットしているということ、そしてそのように「生きてこられた」というのはまさに「僥倖」なのでしょう。

人生は否定しながら生きるよりも、肯定しながら生きる方がよほど生きやすいと思います。

詠われているように、肯定的に生きてこられたのは僥倖なのかもしれませんが、それは主体の意識や考え方が積もり積もって、結果的に僥倖を呼び寄せたともいえるのではないでしょうか。肯定的な姿勢と感謝の気持ちを背後に感じる一首であり、読み手のこちらまで心が晴れ晴れとしてくる一首です。

以上、自己肯定感の歌、生きているだけでいいといえる歌を見てきましたが、究極「生きているだけでイエス」です。生きているだけで自分を肯定していいと思います。この考えの影響を受けたのは、オーストリアの精神科医で心理学者のヴィクトール・エミール・フランクルの次の言葉です。三つの講演(困窮と死、身体的心理的な病気の苦悩、強制収容所の運命)の締めとして語られた言葉で、私の大好きな言葉です。

―人生にイエスと言うことができるのです。

(ヴィクトール・エミール・フランクル『それでも人生にイエスと言う』)

フランクルはナチス・ドイツによって強制収容所に収監されました。家族は収容所で死亡するという大変厳しい状況の中、フランクル自身は奇跡的に生還しました。その体験は『夜と霧』にまとめられました。とてもひとことではいい表せない過酷な経験をしたフランクルが「人生にイエスと言うことができる」といっているのです。

たとえどんな厳しいことが起こっても、いや厳しいことが起こったときこそ、「人生にイエスと言う」の言葉を胸に刻み、生きていることのすばらしさをじっくりと感じていたいものです。

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