観覧車の歌 #13

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観覧車の短歌

落下した観覧車の輪転がればカラフルな瓦礫がれき埃舞いあげ
田中有芽子『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』

田中有芽子うめこの第一歌集私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない(2023年、新装版)に収められた一首です。

「落下した観覧車の輪転がれば」と始まりますが、観覧車が丸々全部落下することは普段想像することはないのではないでしょうか。しかし、観覧車が絶対に落下しないとはいい切れないでしょう。

もしも観覧車の輪ごと落下したらと想像したとき、落下後はどのような状況になっているでしょうか。輪がころころと転がるかもしれませんし、倒れながら幾度かバウンドするかもしれません。さまざまに想像はできますが、この歌では輪が転がった後に「カラフルな瓦礫埃舞いあげ」と詠われています。

なぜカラフルかといえば、観覧車のゴンドラが一色ではなく、色々な色で塗り分けられているからでしょう。したがって、観覧車の輪がころころと転がれば、輪の円周に沿うようについているゴンドラは次々と破壊されていくでしょう。その度に輪の円周からは、「カラフルな瓦礫埃」が舞い上がるのです。

カラフルではあるのですが、これは決して美しい光景ではないでしょう。瓦礫埃はやはり瓦礫埃であり、カラフルであろうとなかろうと、破壊のイメージが先行します。

観覧車が美しいと感じるのは、ゴンドラが潰されずに空を周っているからであり、その機能があって初めて色の豊富さへの意識が向くのであって、破壊されたゴンドラからいくらカラフルな瓦礫埃が舞い上がったとしても、カラフルさへの美しさは感じないのではないでしょうか。

そもそも「カラフル」と「瓦礫埃」が元来マッチしない語群の言葉同士なのかなと思います。その接しない語群から選ばれた「カラフル」と「瓦礫埃」が組み合わされて詠われているところに、この歌のオリジナリティが充分に発揮されているでしょう。また、「カラフル」と「瓦礫埃」が合わさることで生まれるイメージのインパクトは、負のイメージも相まってかなりのものがあると感じます。実景ではなくとも、歌を読んだときにイメージできる映像の鮮やかさこそが歌のもつ力なのかもしれません。

観覧車を落下させるという発想として、この歌はとても魅力的に感じます。観覧車はいつ何時、カラフルな瓦礫埃を舞い上げてしまう危険性を内包しながら存在しているのではないか、そんなことを考えさせてくれる一首ではないでしょうか。

観覧車

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