傘で電柱を打ちまくっていればそこ一帯はのどかな町です
小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』
小坂井大輔の第一歌集『平和園に帰ろうよ』(2019年)に収められた一首です。
子どもたちが「傘で電柱を打ちまくって」いる場面を思い浮かべました。
学校からの帰り道、降っていた雨はすでに止んでいて、もってきていた傘で、雨上がりの町にある電柱を順番に打ちながら家に向かっている、そんな場面ではないでしょうか。下校時は、一人ひとりばらばらに帰るのではなく、区域の小学生がまとまって集団下校する姿が見られます。同じ区域の子どもたちが、電柱が現れる度に、次々に電柱を打ちながら、下校している様子をこの上句で想像しました。
もちろん子どもに限定する必要はありませんが、傘で電柱を打つ行為と聞いてパッと思い浮かべたのが子どもの姿だったのです。もし、これが大人だったらどうでしょうか。年齢を重ねた大人が、傘で電柱を打ちまくっていれば、それはそれで相当危ない光景かもしれません。やはり、子どもたちが傘で電柱を打ちまくっている光景と捉えるのがスムーズなように思います。
さて、歌の構成ですが、まず傘で電柱を打ちまくっている場面があって、「いれば」という接続によって、「そこ一帯はのどかな町です」とつながっていきます。
この「いれば」という表現に、のどかな町であることの理由が強調されているような印象があります。
傘で電柱を打ちまくる、とその言葉だけを聞けば物騒な感じがありますが、実際に物騒かどうかといえばそうではないのでしょう。
傘で電柱を打ちまくっていても、誰も文句をいったり通報したりせず、打ちまくる状況をそのまま受け入れている町がここにはあるのでしょう。それが「のどかな町」として表現されているのだと思います。
傘で電柱を打ちまくることが一切ない町でも、のどかな町というのはあるのでしょうが、この歌では「いれば」という接続によって、「のどかな町」の成り立ちまでもが見えてくるように感じます。
もちろん時代が時代、状況が状況であれば、傘で電柱を打ちまくる行為というのは単に危険な行為として捉えられ、のどかな町に直接結びつくことはないでしょう。しかし、この歌ではそれらが結びついているところに、「のどかな」感じが増幅しているような印象があります。
傘で電柱を打ちまくることと、のどかな町という一見アンバランスな二つが結びつくことによって、世界が広がるような一首となっているのではないかと感じます。


