人生の歌 #124

当ページのリンクには広告が含まれています。
人生の短歌

これまでのとwの幸運とをの不運かぞへあげつつ眠りにつかむ
小池光『サーベルと燕』

小池光の第十一歌集サーベルと燕(2022年)に収められた一首です。

作者七十代の作品であり、「これまでの」にはやはり長い歳月が流れたことをが表れているでしょう。

生きていく上で、幸運ばかりが続くということは難しいかもしれません。幸運がある一方で、不運もある、それが人生とはよくいわれることですが、その捉え方に納得せざるを得ない人も多いのではないでしょうか。

幸運ばかりが続けばもちろんいいでしょうが、不運ばかりが続くということもなくはありません。不運ばかりが続くと、場合によっては生きていくこと自体が嫌になってしまいます。ときに幸運、ときに不運のバランスがとれているからこそ、人は何とか生きていくことができるのかもしれません。

もちろん、傍から見れば不運と思われることでも、本人の捉え方次第で幸運と思うことができれば、その人の人生に「不運」はないことになるのかもしれません。しかし、中々そのような境地に達することは難しいでしょう。

さて、掲出歌は眠りにつく前に、十個の幸運と十個の不運を思い返している場面です。

幸運不運とは少し違うかもしれませんが、かつて歌手のばんばひろふみが”SACHIKO”という曲で、”幸せを数えたら片手でさえ余る 不幸せ数えたら両手でも足りない”と唄っていたのを思い出しました。

その点、掲出歌は、幸運の数と不運の数が同じであることが救いでしょう。不運の方に偏っていないところが大切であり、幸運ばかりではないけれども、とんとんであるこれまでの人生を振り返って、眠りにつくことができるのではないでしょうか。

それにしても、運不運、幸不幸といったことは、人が生きる上で考えずにはいられないことなのかなとも思います。”人間万事塞翁が馬”といった故事もある通り、運と不運、幸と不幸は交互にやってくるものなのかもしれません。

喜び過ぎず、かといってかなしみ過ぎず、自らの生に訪れる出来事を淡々を受け入れていく、この歌はそのような心をもって詠われているようにも感じる一首です。

両手
両手
ネオウィング 楽天市場店
¥3,300 (2025/01/26 12:15時点 | 楽天市場調べ)

♪ みなさまの応援が励みになります ♪


俳句・短歌ランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次