月までは行けないことは知っているそれでも強く自転車を漕ぐ
伊波真人『ナイトフライト』
伊波真人の第一歌集『ナイトフライト』(2017年)に収められた一首です。
「月」と「自転車」の組み合わせといえば、真っ先にスティーブン・スピルバーグ監督の名作映画『E.T.』での月を横切る自転車の場面が思い浮かびますが、月まで行ったわけではありません。
人類にとって「月」はひとつの憧れでしょう。1960年代のアポロ計画はまさにその表れです。1969年7月、アポロ11号によって人類初の月面着陸が成されました。
そんな月への期待に胸を膨らませる人もいる中で、自転車で「月までは行けないことは知っている」と詠い出されるこの歌は、どちらかといえば冷めた考えを提示しているともいえるでしょう。
上句において、月まで行けたらいいなというのではなく、行けないことは知っているのです。夢や希望よりも、現実を冷静に見つめる眼が主体に備わっているのでしょう。それは的確な判断を下すことにつながるかもしれませんが、その一方でどこか割り切ったさみしさのようなものを感じます。
しかし、下句の「それでも」の逆接でこの考えが少し揺らぎます。
「強く自転車を漕ぐ」というのは、もちろん前に進むため、また移動するためであり、月へ行くためではありません。けれども、「それでも」の接続によって、「強く自転車を漕ぐ」という行為は、月へ行けたらいいなという願望へわずかながらにつながっていくように感じます。
月へ行けないことは百も承知なのですが、何か奇跡のようなことが起きて、月へ近づくことがあるかもしれない、そんなふうに感じさせてくれるのです。あるいは月に行けなかったとしても、自分が想定する範囲を超えた場所にたどり着くために「強く」漕ぎだしていくのかもしれません。
月までは行けないことはもちろん知っているけれど、強く漕ぐという行為が行われるところに、常識だけでは測れない可能性や事態が好転する可能性、自分の想像を超える結果の可能性などを捨ててはいない主体が浮かび上がってくるようです。
月と自分との間に無数の着地ポイントは存在するでしょう。距離的にも時間的にもあるいは精神的にも、この自転車は果たしてどこまでたどり着くことができるのでしょうか。
先ほども述べた通り「それでも」がとてもよく効いており、上句の冷静な目と、下句のどうしようもなく湧き上がってくる感情のようなものの対比が印象に残ります。
自転車の行く末を見守りたいような一首です。

