tankalife「人生を1mmでもよくしたい」の第34回(「受容」の第5回)です。今回は「今日は今日、うまくいかない今日でもいい」と題して、今日は今日と割り切ることについて見ていきます。
一日の終わりに今日を振り返るとき、今日一日はどのような一日でしたか。
いい一日だったという場合もあれば、もう本当とんでもなくつらい一日だったという場合もあるでしょう。
毎日うまくいく一日が続けばいいのですが、どうしてもうまくいかない日も出てくると思います。
私も、仕事でうまくいかなったり、落ち込んだ日を何度も経験してきました。そのとき、どのようなことを意識するようにしていたかというと、「今日は今日」と割り切ることでした。
家の玄関に着いたら、「はい、今日は今日。これでおしまい!」といって、手を叩いて気持ちを切り替えていましたた。明日のことは、また明日職場で悩めばいいと思うようにしています。悩むよりも、今日はおいしいものを食べて早めに寝るに限ります。
今日一日がうまくいかなかったとしても、帰宅してから寝るまでの時間をどのような気持ちで過ごすのかがとても大切ではないでしょうか。あれこれ悩んで気持ちここにあらずで過ごしても、一旦悩みは置いておいて楽しい時間を持つよう意識して過ごしても、どちらでも同じ2~3時間が経過するのではないでしょうか。どのように考えていても同じ時間が経過するのであれば、どちらを選ぶ方が今の自分にとって幸せなのかということです。
うまくいかない日もありますが、まあそんな日もあるよねと思うことが大事でしょう。むしろ、うまくいかない日は、もういっそのこと、今日はあきらめてしまうくらいの気持ちでいる方が、吹っ切れていいかもしれません。
たとえ、うまくいかない今日であっても、今日無事に生きてこられたことだけは確かでしょう。生きていること自体に感謝することができれば、今日うまくいかなかったことが、少し小さなことに思えてくるのではないでしょうか。
うまくいかなかった日は「今日は今日、また明日がある」と思うようにして過ごすのがいいのではないでしょうか。
さて、短歌でも、今日は今日だという区切りを詠った歌が見られますので、読んでいきたいと思います。
さかさまの洗面器からざぱーんと水。さようなら今日のできごと 岡野大嗣『サイレンと犀』
「さようなら今日のできごと」と詠われていますが、今日起こったことに対して「さようなら」をしています。どのように「さようなら」をしたかというと、「さかさまの洗面器からざばーんと水」によって、今日の出来事に対してけりをつけたのです。
今まさに洗面器から水が落ちてくる瞬間を「さかさまの洗面器」で表現しているのでしょうか。洗面器を手元でひっくり返しただけかもしれませんし、自分の頭上から自分自身に洗面器の水をかけたのかもしれません。とにかく洗面器の水を「ざばーん」と勢いよく打ち捨てることで、今日の出来事を一旦終わりにしたということでしょう。
生きていれば、今現在の思考が過去にいったり、未来にいったり、あるいは空想にいったりすることがあります。過去の出来事がいいことであればいいのですが、大抵は嫌なこと、後悔していること、自責の念に駆られるような過去の出来事を振り返ることに、今という大切な時間を使ってしまうことが多いものです。また、まだ起こってもいない未来への不安に意識が飛ぶこともあります。
この歌では、すでに起こってしまった「今日のできごと」に意識がいっている状態です。「今日のできごと」はさようならするような出来事ですから、あまりいい出来事ではなかったのでしょう。そのようなあまりいい出来事ではないことに、今という貴重な時間を費やすのはもったいないと思います。ですから、たとえ今日が駄目だったとしても、駄目な今日は、この歌のように今日で区切りをつけるのがいいと思います。
過ぎ去ったことをいつまでもくよくよ考えても、あまりいいことはありません。そして、今日起こった嫌な出来事をいつまでも覚えておく必要はありません。職場での失敗や人間関係での嫌なことなどは、帰宅したらすぱっと忘れて切り替えましょう。嫌なことを何度も振り返ることに、今の大切な時間を使う必要はまったくありません。その振り返りが、今の自分を最も幸せにするのであれば、何度も振り返るのがいいのでしょうが、大抵の場合おそらくそうはならないでしょう。何度も何度も過ぎてしまった出来事を振り返り、その度に嫌な気持ちになる、そんなことに今という貴重な時間を使っているのであれば、それは今を生きているとはいえないのではないでしょうか。
今日、嫌なことがあったと感じたら「ざばーんと水」を思い出して、実行してみるのがいいのではないでしょうか。
湯槽にてしばし忘れるいやなこと「あしたはきっといいことあるさ」 萩原慎一郎『滑走路』
こちらも、今日の嫌な出来事との訣別を詠った歌です。
今という時間を使うに当たって、嫌なことで考えを埋め尽くすのか、それとも楽しいことで埋め尽くすのか、これによって人生はまったく変わってくるでしょう。
過去の出来事を変えることはできませんが、過去をどう解釈するかは変えることができます。過去に起きたことをなかったことにできないのであれば、そこに意識を集中するのではなく、忘れてしまうのもひとつの方法だと思います。
ここでは、お風呂で嫌なことを忘れている場面です。そして「あしたはきっといいことあるさ」と詠っています。
今日「いやなこと」があったのかもしれません。嫌な出来事はできれば早く忘れてしまいたいものです。いつまでも心の中に嫌な出来事を抱えていても、今を楽しく生きることができないでしょう。しかし、嫌な出来事というのは、忘れようとすればするほど思い返されてしまうものです。では、嫌なことを忘れるためにはどうするのがいいのでしょうか。
嫌なことを忘れるためには、今を最も心地よく過ごすためにはどうすればいいのかに意識を集中するのがいいと思います。嫌なことにフォーカスすると、いつまでもその嫌な出来事が頭から離れません。嫌なことに焦点を当てるのではなく、今自分が心地いいことに焦点を当てれば、だんだんと「いやなこと」は去っていくのではないでしょうか。お風呂にゆっくり浸かりながら、深呼吸をすれば、気持ちも落ち着くでしょう。
今日は今日ですし、明日は明日です。
「あしたはきっといいことあるさ」はありふれたフレーズかもしれませんが、こういうときこそわかりやすい「あしたはきっといいことあるさ」が胸に響きます。「あしたはきっといいことあるさ」を何度も唱えて、素敵な明日をイメージしながら、残りの今日を過ごしたいものです。
だめな日はだめなままでもいいような 雨の日の猫をみてごらんなさい 仁尾智『仁尾智猫短歌集 いまから猫のはなしをします』
「だめな日」は必ずあります。「だめな日が生まれてから今まで一日もなくて…」という人はおそらくいないでしょう。
ポイントは「だめな日」は必ずあると認識することではないでしょうか。「だめな日」があるのは仕方がないことで、大切なのは、その「だめな日」をどう捉えるかということだと思います。
この歌では「だめな日はだめなままでもいいような」と考えているのです。「だめな日」に無理にあがこうとしないということではないでしょうか。無理して何とかしてやろうとしても、どうしてもうまくいかない日もあるでしょう。
「雨の日の猫」が出てきますが、この「雨の日の猫」が表しているのは、気圧や湿気の影響で動きが鈍くなる様子だと思います。動きの鈍い様は「だめな」感じがするのかもしれません。でも、そんな猫を見ていると、「だめな日はだめなままでもいい」のかもしれないと思えてきたのです。
雨の日の猫が駄目だからといっても、決して死んでいるわけではありません。生きているではありませんか。駄目なときは駄目なりに生きていけばいいのではないでしょうか。雨の日の猫を見ていて、そのような思いが兆し、心が救われたのではないでしょうか。
駄目な一日もありますが、今日は今日と割り切って、そんな日もあるよね、くらいに捉えていた方がよほど気持ちが楽になると思います。抵抗しようとするから苦しくなるのかもしれません。
うまくいかない日は「だめな日はだめなままでもいいような」を思い出して、「だめな日」を受け入れるのも、穏やかに過ごすための有効な考え方なのではないでしょうか。
大きく背伸びの運動からの一日をしどろもどろのまま終へむとす 石川美南『架空線』
「大きく背伸びの運動」は、ラジオ体操の「腕を前から上にあげて」に続くセリフの一部でしょう。主体は朝にラジオ体操をしているのかもしれません。
小学生の頃は、夏休みになると近所に集まってラジオ体操をしたものです。最近ではめっきりしなくなりましたが、ラジオ体操から始まる一日というのもいいですね。
さて、そんなラジオ体操の元気いっぱいの感じでスタートした一日でしたが、どういうわけか後半は波に乗り切れなかった様子が窺えます。スタートダッシュは完璧だったのに、一日のゴール地点から振り返ってみると今日一日が「しどろもどろ」になっていたと感じているのです。
こういうことありますね。朝一番は、「今日は目覚めもよく、体調もいい。今日のスケジュールも問題なくこなせそうだ。活力にもあふれている。天気もいいし、何かラッキーだな」と思っていたのに、その日が終わる頃には「朝は快調だったのに、昼前のトラブルがいけなかったな。あのせいで昼飯を食べ損ねた。午後も急な資料づくりを頼まれるし、上司からはとばっちりを受けるし、夕方のアポイントメントはドタキャンされるし…。今日は一体何をしたかったんだっけ?」というような感じでしょうか。今書いたことは勝手な想像ですが、主体も何かしっくりこない一日を過ごしたのではないでしょうか。
「しどろもどろのまま終へむとす」とある通り、うまくいかない日というはあります。終盤で挽回しようとしてもどうにもならないこともあります。もうそんな日は「しどろもどろのまま」一日を終えるしかないのです。今日はうまくいかなかったけど、そんな今日を受け入れてしまうしかありません。
しかし、この歌からは、不思議と思いつめた印象を受けません。「しどろもどろ」の語の選択のせいでしょうか。うまくいかなかった感じはありますが、それに対して仕方がないと思っている主体の姿が感じられ、いい意味での諦念が感じられるのです。こんな日もあるよね、といった受け入れと余裕がここにはあるのではないでしょうか。
明日また「大きく背伸びの運動」から始めればいいのだと思わせてくれます。
「ラストコール! だけどパネルは変わらない」そんな一日を終えて帰り来 生沼義朗『関係について』
テレビのクイズ番組「パネルクイズアタック25」に出てくるセリフを取り入れて、パッとしない一日を詠った一首です。
「パネルクイズアタック25」は、四人の解答者が、クイズに正解するたびパネルをとっていくルールですが、最後の25枚目のパネルのナンバーを解答者がいう前に司会者が発する言葉が「ラストコール!」です。パネルは自分がすでに獲得しているパネルと挟むことができれば、自分以外のパネルを自分のパネルに変えることができますが、挟めない場合自分のパネルを増やすことはできません。
「だけどパネルは変わらない」は、最後のクイズに正解したにも関わらず、パネルを挟んで大逆転勝利を飾れなかったことを意味しているのです。
歌の場面としては、仕事が終わった後でしょうか。「そんな一日」は、まさにこのクイズ番組のように、最後の最後に事態を変えられるチャンスはあったのかもしれませんが、結局は何も変えられなかった一日を指しているのでしょう。もしかしたら、取引先との間でトラブルがあったのかもしれません。上司の叱責にあったのかもしれません。あるいは今日予定がスケジュール通りに進まなかったのかもしれません。このように仕事を想像しただけでも、色々と考えられますが、結局何かパッとしない一日だった、不甲斐ない一日だったという日もあるのでしょう。そんな一日を終えて帰ってくるときの心境はいかばかりだったでしょうか。「そんな一日を終えて帰り来」にさびしさが滲み出ているようにも感じます。
もしも毎日がパネルクイズアタック25のような場面だったとして、いつもいつも「だけどパネルは変わらない」ばかりだったら、凹んでしまうかもしれません。しかし、今日は「パネルは変わらない」一日だったかもしれませんが、明日は「赤、白、緑のパネルを合計8枚ひっくり返しての大逆転です!」となる可能性だってあるわけです。
ですから、今日は今日として、逆転はできなかったけれど、獲得した分のパネルを褒めてあげてはどうでしょうか。明日は明日、素敵な「ラストコール!」が待っているかもしれません。
荻原裕幸けふは留守ですそれはもう見事なまでに打ちのめされて 荻原裕幸『永遠よりも少し短い日常』
歌人「荻原裕幸」が、「荻原裕幸」自身を詠う一首です。
今日はかなり堪える出来事があったのでしょう。「それはもう見事なまでに打ちのめされて」に相当のダメージを負った様子がこれでもかと伝わってきます。
具体的に何に打ちのめされたのかは詠われていません。仕事かもしれませんし、遊びかもしれませんし、モノに関わることかもしれませんし、人間関係かもしれません。いずれにしても「それはもう見事なまでに」の打ちのめされようだけは確かです。
さて、面白いのは初句・二句の「荻原裕幸けふは留守です」でしょう。打ちのめされてしまった「荻原裕幸」は、しばらく立ち上がることができないのだと思います。ここで留守を決め込んだのです。
お店であれば、シャッターを閉めて今日は閉店といった感じでしょうか。「荻原裕幸」も今日はもう誰とも連絡を取り合いたくないという感じでしょう。ここで具体的な自分の名前をフルネームで提示することで、「荻原裕幸」という存在の輪郭が立ち上がってきます。ひとつの商品といえば語弊があるかもしれませんが、対外的なひとりの「荻原裕幸」という存在を、今日は存在しないものとして扱ってほしいという心情がここには表れているように感じられます。
また「留守です」という端的ないい方も、今はもうこれ以上他者と関わりたくないという雰囲気が充分に出ていると思います。
うまくいかないときに、あがくのではなく、さっと留守を決め込む行動に出ることに惹かれます。「逃亡」や「逃避」ではなく、「留守」です。留守はいずれ解除されるでしょう。今日だけの留守かもしれませんし、数日続くかもしれません。しかし、永遠に留守ということもないでしょう。日が経てば、この留守も解除されて、「荻原裕幸」がまた前面に現れてくることになるのが想像できるのではないでしょうか。
以上、うまくいかない日に対して、どのように振る舞うのかを詠った歌について見てきました。
うまくいかない今日をつい責めてしまいがちですが、うまくいかない日だってあります。そんなときは、うまくいかない今日でもいいと思い、今日一日を生きてきた自分を認めてやることが大切だと思います。
今日は今日です。うまくいったらいったで今日を褒めればいいですし、うまくいかなかったらいかなかったで切り替えればいいのでしょう。そして、たとえうまくいかなかった今日だったとしても、必ず何かは行っていると思います。食事もしているでしょうし、眠りにもついているでしょう。そして何より生きているではありませんか。それを褒めましょう。
たとえ嫌なことがあったとしても、いつまでも引きずらず、今自分が快適過ごすにはどうすればいいのかを意識していくのがいいと思います。その悩みや考えごとは、果たして人生を1mmでもよくすることにつながるのかを今一度考えてみるのもいいのではないでしょうか。





