tankalife「人生を1mmでもよくしたい」の第31回(「受容」の第2回)です。今回は「なるようになると思って流される」と題して、なんとかなると思って生きていくことについて考えていきます。
「ケセラセラ」という言葉をよく耳にします。「なるようになる」という意味で浸透しているでしょう。
人生、思いつめてしまうと息苦しく感じる場面も少なからずあるでしょう。しかし、なんとかなる、いずれなるようになる、という気持ちでいれば、知らず知らずのうちになんとかなっているものです。
特に、行き詰まったときは「ケセラセラ」の精神でいくのがいいでしょう。
もうひとつことわざに触れておきたいと思います。
人事を尽くして天命を待つ
(意味)力のあらん限りを尽くして、あとは静かに天命に任せる。
『デジタル大辞泉』
「人事を尽くして天命を待つ」もよく知られた言葉でしょう。
さて、この言葉とは正反対のことをいった人がいます。麻雀の神様・雀聖として知られ、作家であった阿佐田哲也です。それは次の言葉です。
人事を尽くさず天命を待たず
人事も尽くさず、天命も待たない。つまりは何もせず、ただ流れに任せるのみといったところでしょうか。私も昔はよく遊びで麻雀をしていたからなんとなくわかります。麻雀においても、如何ともし難いときがあります。そんなときはただ順風になるのをじっと待ったものです。
時にはこういった考え方も必要ではないでしょうか。自分の力ではどうしようもない場面もあると思います。いやそんな場面のほうが多いのかもしれません。そんなときこそ「人事を尽くさず天命を待たず」という言葉を思い出すのも、気持ちを楽にするためのきっかけになるのではないでしょうか。
待っていても待っていなくても、そのうち訪れるものは訪れるでしょうし、こないものはやってこないでしょう。そう、なるようになるでしょうし、なるようにしかならないのだと思います。
もちろん、人事を尽くす場面は尽くすべきだという思いはあります。そして、その行為が天命を呼び込むこともあるでしょう。しかし、人事を尽くさなければならないと思い込んでしまうと、それが
人事を尽くすのか…尽くさないのか…
天命を待つのか…待たないのか…
時と場合により、状況は刻々と変化します。それぞれの場面に適した身の振り方もあると思います。ただ、「人事を尽くさず天命を待たず」という言葉あることを覚えておくと、いつか自分を救ってくれるきっかけになるかもしれません。
「ケセラセラ」にしても「人事を尽くさず天命を待たず」にしても、なるように流れに任せる精神が窺えないでしょうか。
それでは、「なるようになる」が感じられる短歌を見ていきたいと思います。
「歳月」はなにも裁かずゆきたれば なるやうになりならぬものあり 池田はるみ『亀さんゐない』
人生においては、なるようになるものもあるし、ならないものもあるということでしょう。
「歳月」とは、過去、現在、未来を含めての歳月なのでしょうが、その歳月は「なにも裁かずゆきたれば」と詠われています。つまり、歳月が何かを制止したり、反対に何かを推進したりということではなく、まるで大河の流れのように、雄大に静かに、何にも動じることなく流れていくようなイメージがここから浮かび上がってくるように思います。
その大きな存在において、一人の人間が抵抗できることはほとんどないのかもしれません。時間に身を委ねるではありませんが、歳月に対しては抗いようがないと感じます。
歳月の前においては、「なるやうになりならぬものあり」なのです。
今現在どうにもならないと思っていることがあるとしましょう。今この瞬間には、物事を重大に捉えすぎて、悪い面ばかりが浮かび上がり、そのプレッシャーに押しつぶされそうになることもあるかもしれません。しかし、もう少し大きな視野で見つめてみれば、そのどうにもならないことも、やがてどうにかなるかもしれませんし、結局はなるようにしかならないのではないでしょうか。
今すぐ解決できなくても、なるようになると考えていると、だんだんと冷静に物事を見つめることができるようになりますし、そこまで思いつめる必要がなかったことが思えてくることだってあるでしょう。
「なるやうになりならぬものあり」とありますが、歳月という視点から見れば、「ならぬものあり」も含めて、最終的にはなんとかなっているのです。
行き詰まったと感じるときは、なるようになるという気持ちをもつように意識するだけでも、随分と楽になるのではないでしょうか。
なるようになりてかくありなるようになりてゆくなりこの世というは 大下一真『即今』
先ほどは「歳月」でしたが、こちらは「この世」についてです。どちらも捉え難い大きな存在に対して詠われているという点においては共通しているでしょう。
どうしようもないことだと思っていても、やがてはなるようになるものであることが詠われています。「この世」というのは、なるようになって今このように存在しているのでしょうし、これからもなるようになっていくということでしょう。
反対にいえば、なるようにしかならないともいえます。「この世」というのは、なるようにしかならないし、そのようなものだと捉えておけば、「この世」に対して過度な期待をしないで済むのかもしれません。
過度な期待をしないというと、虚無的な印象を抱く人がいるかもしれませんが、そういうことを意味しているのではありません。過度な期待をしないとは、流れに任せる気持ちをもって生きていくことと似ていると感じています。なるようになるし、なるようにしかならないなら、期待しすぎるのではなく、その流れに任せて生きてみるという気持ちをもってみてはどうでしょうかということです。
過度な期待が、自分を追い込んでしまうことにつながりかねないケースもあります。そうであれば、「なるようになる」から流れに任せようと思って、その流れに飛び込んでみるのもいいのではないでしょうか。案外スムーズに流れて、「この世」を生きやすく感じるかもしれません。
おはようがまだかまだかと待っている明日の僕にすべて任せる 水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』
「今日の僕」ではなく、「明日の僕」にすべてを任せてみることも、流れに任せるひとつの方法でしょう。
毎日うまくいくことばかりであればいいのですが、当然うまくいく日もあれば、うまくいかない日もあります。今日がうまくいかない日もあるでしょう。しかし、今日うまくいかないからといって、明日もうまくいかないとは限りません。
私は、DREAMS COME TRUEの曲「何度でも」が好きなのですが、歌詞に次の一節があります。
10000回だめで へとへとになっても
10001回目は 何か 変わるかもしれない
仮に10000回駄目だったとしても、10001回目も駄目とは絶対にいい切れません。確かに10000回駄目なら、10001回目も駄目なような気がしてきますが、10001回目がどうなるかはわかりません。まさに過去のすべてがうまくいっていないからといって、その次がうまくいかないとはいえないのです。
ですから、今日の出来事を今日の自分が解決しなければならないのではなく、この一首のように明日の自分に任せてみてもいいのです。「任せてみてもいい」とはいいましたが、うまくいかないときほど、「任せてみた方がいい」のかもしれません。うまくいかない今日の自分が無理に解決しようとするから、本来解決できるものもこんがらがってしまい、さらに複雑になってしまう場合もあるでしょう。
そんなときこそ、明日の自分へ委ねてしまえばいいのです。その方が、今日の自分はもう悩まなくても済みます。
「おはようがまだかまだかと待っている」に、期待感があふれているように感じます。「明日の僕」は、明日がくることが本当に待ち遠しいのでしょう。そんな活力に充ちた「明日の僕」に任せてしまえば、きっとうまくいくのではないでしょうか。
私自身についていえば、仕事において、今日いくら考えてもいい案やいい解決法が出てこないときは、もうその日はその件で悩むのをやめて、翌日に改めて考えるようにしたことも何度もあります。そのとき、翌日には不思議といい考えに至るもので、なぜ昨日はあれほど悩んでいたんだろうと振り返ることもありました。
「明日の僕にすべて任せる」と決断してしまうことは、なるようになると思うことに通じており、随分と心のもちようが楽になるのではないでしょうか。
たんぽぽに生まれ変わって繁栄のすべてを風に任せてみたい 木下龍也『オールアラウンドユー』
この歌も「任せる」歌です。
「たんぽぽ」の繁栄において、「風」は欠かせない存在です。たんぽぽ自身の単独の力だけでは、生存を継続していくことはできないからです。つまり、たんぽぽは「風」という他者に、繁栄という非常に重大な点を任せているのです。たんぽぽも自力ですべてできるのであれば、風に任せることもなかったでしょう。しかし、たんぽぽは自力で繁栄を続けることができないとわかっているからこそ、風にすべてを任せているのです。
この歌からは、任せることで万事がうまくいくような、とても肯定的な印象を受けます。「繁栄のすべて」を「風」に任せることができるとは、なんてすばらしいことなのでしょう。きっといい結果になるということが、この歌からひしひしと伝わってきます。
人間でも同じでしょう。自力で何でもかんでもしようとしなくていいのです。任せられるものがあれば、どんどん他者に任せていけばいいのです。
これは仕事においてもいえるでしょう。すべてを自分ひとりでやらないといけないと思うから、つらくなるのであって、誰かを頼ってもいい、誰かに任せてしまえばいいと思えると、大分楽になるのではないでしょうか。自分が不得意なことをやらなければならないときや、自分の今の力でどうにもならないときは、上司や同僚など、他者を頼ってしまえばいいのです。
人間という生き物は、誰かから頼られるとうれしく感じるものです。おそらく優しく教えてくれるでしょうし、手伝ってくれるでしょう。ときには代わりに全部やってくれるでしょう。ですから、その誰かに頼んで任せてしまえばいいのです。その誰かはきっとうまくやってくれるでしょう。そして自分自身もいい方向へ向かっていけるようになるのです。
「任せる」ことは、撤退でも逃避でもありません。いい結果を導きいれるための、積極的で有効な方法のひとつなのだと思います。
グッモーニン人生どうでも飯田橋人生どうにか鳴門大橋 初谷むい『わたしの嫌いな桃源郷』
力みすぎず、流れのままに任せてきっとなんとかなるだろうという、この歌の感じが好きです。
「人生どうでも」”いい”+「飯田橋」、「人生どうにか」”なる”+「鳴門大橋」が掛かっているわけですが、このように並ぶととてもリズミカルに読めて、すっと心の中に入ってきます。
この駄洒落に近いいいまわしは、一部分だけを取り上げるとどこかで聞いたような気もします。ひょっとすると元ネタになる言葉があるのかもしれませんし、仲間内だけで流行していた言葉かもしれませんし、作者は元々知らなかったけど思いついたものかもしれません。それはわかりませんが、これらを短歌の中に組み込んで一首としてつくりあげたのは、間違いなく作者のオリジナルです。
まず「グッモーニン」という気軽な感じでの入り方がいいと感じます。”グッドモーニング”ではなく、「グッモーニン」です。”グッドモーニング”と「グッモーニン」を比較すると明らかですが、やはり「グッモーニン」の方がフレンドリーで親しみやすい感じがしますし、形式ばっていないでしょう。
この「グッモーニン」の雰囲気が、その後に続く「人生どうでも飯田橋人生どうにか鳴門大橋」をかなり効果的に伝える役目をしていると思います。
さて「飯田橋」ですが、東京都千代田区にある橋の名前であり、JRや地下鉄の駅名にもなっています。「人生どうでも飯田橋」は、”どうでもいい”といってはいますが、決して投げやりな意味合いではありません。”どうでもいい”ということによって、現在自分自身に迫る問題を少し客観的に、それほど深刻にならずに捉えてみませんかといった感じでしょうか。どうでもいいと突き放すことによって、人生が少し軽くなった感じがして、生きやすくなるのではないでしょうか。
それに続くのが「人生どうにか鳴門大橋」。「鳴門大橋」の正式名称は大鳴門橋というようですが、兵庫県の淡路島と徳島県を結ぶ大橋です。
人生において、仕事や家族、人間関係などで、ときには追い詰められてしまう時期もあるのではないでしょうか。思いつめてしまうと、周りが見えなくなって、冷静に判断できないこともあるでしょう。でもそんなときこそ、一歩引いて状況を把握することが大切です。「人生どうにか鳴門大橋」と洒落の効いたいい方でいわれると、追い詰められていても本当に”人生どうにかなる”と思ってしまうから不思議です。
「橋」から「大橋」へ展開しているところも、この歌の面白さのひとつでしょう。歌の後半にいくにしたがって、どうにかなる度合いが増しているような印象を受けます。
思いつめたとき、この歌を思い出すと途端に心が軽くなる、そんな素敵な一首です。
カウンターの左の人が振り向けり声に出たのかなんとかなるっ!が 大松達知『ばんじろう』
カフェでしょうか、居酒屋でしょうか。カウンターに座っていたときの場面です。この店には、主体ひとりできていたのだと思います。「左の人」は、おそらく面識のない人でしょう。
この日、悩みや心配事を抱えていたかもしれません。カウンターに座りながら、意識はその悩みや心配事にフォーカスしていたのでしょう。どうしてこんなことになってしまったんだろう、どうやって解決しようか、といったことが頭の中をぐるぐる巡っていたのではないでしょうか。
そして、心の中で「なんとかなるっ!」と思えた瞬間があったのだと思います。そのとき「左の人」が振り向いたのです。心の中で発していたはずの「なんとかなるっ!」が、思わず声に出てしまっていたのでしょう。
左の人は一体何だろうと思ったでしょうし、このときの気まずさは相当なものだと思いますが、それは脇に置いておきましょう。ここで、注目したいのは「なんとかなるっ!」です。
「なんとかなるっ!」に至ったところに、魅力があふれでているのではないでしょうか。「っ!」がいいですね。より一層「なんとかなる」感が出ています。
どうにもならないと落ち込んでしまうのではなく、「なんとかなるっ!」と思えること自体、もうすでにうまくいく展開の先頭に立ったといってもいいのではないでしょうか。声に出るくらいですから、心底「なんとかなるっ!」と思えたのでしょう。
これくらいなんとかなると思えれば、人生必ずうまくいくと思います。
さて、なるようになると思って流されるについて見てきましたが、人生流れに任せてみることも大切なことだと感じます。
うまくいくときもあれば、うまくいかないと感じるときもあります。でも、自分ですべてを抱え込む必要はまったくありません。抱え込まないといけないというは思い込みです。時には誰かに、時には何かに、時には大きな流れに任せてみましょう。人生、なんとかなるのです。だから、たとえ今がうまくいっていなかったとしても「なるようになる」の気持ちをもって、生きていけばいいのではないでしょうか。




