【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【視点⑧】「でなければ」「ねばならない」を脱ぎ捨てる

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【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【視点⑧】「でなければ」「ねばならない」を脱ぎ捨てる
tankalife

人生を1mmでもよくしたい」の第20回(「視点」の第8回)です。今回は「「でなければ」「ねばならない」を脱ぎ捨てる」と題して、しなければならないと感じていることについて考えていきます。

やりたいことができている人生は、とてつもなく面白いと思います。

やりたくないことをしている人生と、やりたいことをしている人生、どちらを選びますか?

このように問われたら、間違いなく後者を選ぶでしょう。でも現実は、やりたいことができている人はそう多くはないのではないでしょうか。

やりたいことをやって生きていけたらすばらしいのですが、経済的理由、人間関係、性格、その他さまざまな事情により、やりたくないことをしている人もいるでしょう。今はやりたいことができていなかったとしても、やりたいことをやっていけるように好転するにはどうすればいいかを考えていくのがいいでしょう。

私は、ある施設に勤めていましたが、どうしてもその組織に属して一生を終えるのは嫌だったので、何とか自立できる方法はないかと模索していました。ウェブサイトをつくり、最初の二年間は毎日記事を投稿していました。ウェブサイトはあまり反応がなく、そのような中で日々続けることは心が折れそうになることも一度や二度ではありませんでした。

しかし、当時の職場での仕事や人間関係のつらさを考えると、何としてもウェブサイトを成長させて組織に属さずに生きていくんだという思いが湧いてきました。日々投稿する中で、投稿数が増えていくと、目に見える実績としてわかるので、それをモチベーションに続けました。仕事の繁忙期以外は、毎日21時か22時には寝て、午前3時か4時に起きて作業をする日を繰り返しました。まだ外が暗い朝の時間はとても静かで、自分だけの時間であったので、楽しくもありました。職場での時間は苦痛でしたが、朝のこの時間だけは誰にも邪魔されない自分だけの自由で貴重な時間でした。

この朝の時間に自分がやりたいことをやりました。ウェブサイトの投稿はもちろん、自己啓発や興味がある分野の読書や動画視聴も行いました。すべきことでもなく、できることでもなく、やりたいことをしていました。すべきこと、できることはやりたいことと同じ場合もありますが、大抵の場合は異なるでしょう。ほんのわずかな時間でも、ほんの些細なことでも、やりたいことをやる。それは今この瞬間にとってとても大切なことだと思いますし、今後を変化させていく点でも大事なことだと思います。

tankalifeができるまで(サイト構築編)については、以下に書いています。

では、その結果として、現状組織に属さずに自立できているのかといえば、そんなことはありません。上述の”ある施設”からはすでに離れておりますが、結局はどこか別の組織に頼るほかはなく、自立してという状態からはほど遠いのが現状です。

ウェブサイトについては、今でもアクセスしてくださる人の数は多いとはいえません。でも、ウェブサイトを見てくれる人がひとりでも存在しているのは、とても心強いものです。

人は知らず知らずのうちに、「○○でなければならない」と思い込んでしまうことがあります。

私の場合についていえば、ウェブサイトづくりに時間を割かずに、「一旦入ったその職場で真面目に注力して働き続けなければならない」というのが「でなければ」「ねばならない」思考なのだと思います。つらくても辞めずに頑張らないといけないとは、親を含め周りの人たちからいわれてきました。

でも、「でなければ」「ねばならない」は、一体誰に強制されて、そのような思考に陥っているのでしょうか。

少し立ち止まって考えてみてもいいのではありませんか。ちょっと休憩してもいいではありませんか。もう少し自由に考えてもいいのではないでしょうか。やりたいことに取り組んでもいいではありませんか。取り組んだ結果、駄目なら駄目でまた別の道を探ればいいのではないでしょうか。

自分で自分を締めあげていく「でなければ」「ねばならない」から、自分を少し解放してみませんか。そのときに、本当に自分がやりたいと思えることが浮かび上がってくるのかもしれません。

ねばならない、ねばならないと唱えながら歩くのはもうやめると決めつ 中沢直人『極圏の光』

この歌は、まさに「ねばならない」を捨てることを宣言した一首だと感じます。

物事が「しなければならないこと」と「したいこと」の二つに分けられるとしたら、一体どちらを選びたいと思うでしょうか。何の制約もない場合、「したいこと」を選択するでしょう。しかし、現実として「したいこと」だけを選択して生きている人は少ないのではないでしょうか。この歌からは、「しなければならない」と「したい」の差を改めて考えさせられます。

主体は「ねばならない」と唱えながら歩いている状態を、これまでも何度も行っていたのでしょう。

働かねばならない、勉強せねばならない、食べねばならない、眠らねばならない、話さねばならない、参加せねばならないなどなど、「ねばならない」ことはたくさんあると思います。しかし、この歌では何をせねばならないのかは具体的には示されてはいません。そこは読み手が自由に想像するしかないでしょう。

歌の表現に戻れば、「ねばならない」のリフレインが、よほど強く「ねばならない」を唱えていたことを物語っています。「ねばならない」が口に出るということは、そのような考えが根底にあるからで、それを「唱えながら歩く」のを「やめる」と決断できたのは、客観的な視点が介在する何かがあったのかもしれません。

三句「唱えながら」は字余りとなっており、上句の意味と関連しつつ、三句で少しだらだらする感じがありますが、結句の「決めつ」の「つ」が、その語感も相まって決断の強さを表しており、一首全体として緩急が巧く表れているように感じます。

もう一度この歌をなぞってみると、「ねばならない」を「やめる」とは詠われておらず、「ねばならないと唱えながら歩く」のを「やめると決めつ」と詠われています。ですから正確には、「ねばならない」をやめたわけでもありませんし、「ねばならないと唱えながら歩く」のをやめたわけでもありません。

「ねばならないと唱えながら歩く」のをやめると決断しただけなのです。この段階では何もやめてはいないのですが、この歌を読むと、やがて「ねばならない」を「やめる」のだろう、あるいはもうすでに「ねばならない」をやめた状態であるかのような段階に、読み手の思考はもっていかれるように感じます。錯覚といえば錯覚ですが、結句の強いいい切りがそのように感じさせるのかもしれません。

「ねばならない」ことは、やがて「したいこと」に変わったのでしょうか。その違いは物事の捉え方の違いだけともいうことができるでしょう。同じ物事に対して「ねばならない」と捉えるか、「したい」と捉えるか、それは人によって異なります。

ひょっとすると主体が感じていた「ねばならない」は、そう思い込んでいただけで、実は「ねばならない」ではなかったのかもしれません。ここで詠われている決断のきっかけは示されていませんが、それを想像してみるのも楽しいのではないでしょうか。

幸福でありつづけなければならないとそもそこからが不幸の証し 林和清『去年マリエンバードで』

こちらも「ねばならない」を詠った歌です。

「幸福」と「不幸」。それぞれ意味するところや、思い描くイメージは人によって少し異なるでしょうが、一般的な意味でいうこの二つのうちどちらを求めるかといえば、おそらく「幸福」を人は求めるでしょう。

「幸せになりたい」といった言葉はよく目にしたり、耳にしたりします。それはごく自然な望みだと思います。

幸福を求めることは構わないですし、幸福であること、また幸福でありつづけることもすばらしいことでしょう。しかし「幸福でありつづけなければならない」と思い込んだとき、それは「不幸の証し」であると詠っています。

幸福を望むことと、幸福でありつづけなければならないと感じることには、大きな落差があります。

そもそも「幸福」というのは、何かの強制から逃れた、いわば自由な状態において成り立つものだと思いますが、「ありつづけなければならない」というのは強制が働いている状態です。

幸福でありつづけなければならないという思いは一切なく、結果として幸福がずっとつづいていたという場合と、幸福でありつづけなければならないと思い、幸福を必死に継続させようとする場合では、幸福の継続という点では同じでもまったく意味の異なるものとなるでしょう。

たとえ幸福であったとしても、幸福に対する考え方を一歩間違うと不幸につながるということをこの歌は教えてくれているように思います。

「そもそこから」という表現も、少しとぼけた感じでいい味を出しています。「幸福でありつづけ」る必要は一切ありません。そう思うから、逆に幸福がつづかないのであって、本当に幸福な人は、自らに強制力のようなものを課したりはしないでしょう。幸福を継続しなければならないという思いを一旦手放してみてはどうでしょうか。その手放しによって生まれた空白に、いい流れが運ばれてくるのではないでしょうか。

読むほどに考えさせられ、箴言のように刺さってくる一首です。

心こめてくだらないことしていたい服を汚して道草をして 阿部久美『弛緩そして緊張』

しっかりしなければならない、くだらないことをしてはいけないと思っていませんか。もう、そう思っているのであれば、とてももったいないです。くだらないことの中に本当の楽しさが潜んでいる場合もあります。

「服を汚してはいけない」。「道草をしてはいけない」。

親や先生から、いわれそうなことですね。確かに、服を汚すと後で洗うのが大変ですし、道草をしていて事故や事件に巻き込まれたら困りますから、道草をせずまっすぐ家に帰りなさいといいたくなる気持ちはわかります。

でも、たまには服を汚したり、道草をしてもいいのではないでしょうか。

この歌は、子どもの発言ではなく、成人した大人が詠っているところに面白さがあるわけですが、それでもやはり服を汚したり、道草をしたりしたいのです。

人生は有限ですから、できるだけ「したいこと」で埋めて、「しなくてもいいこと」は減らすのが、人生の質を上げるには適しているのではないでしょうか。そんな当たり前のことを気づかせてくれる歌だと思います。

〈選べる〉は〈選ばなくてはならない〉でコーヒーブラック、ホットで先で 大松達知『ばんじろう』

レストランでの食事の場面でしょうか。

ランチセットで、メイン料理にドリンクがついてくる場合があります。ドリンクは、コーヒー、紅茶、オレンジジュースなどから選べるようになっています。注文時にドリンクも指定するわけですが、この歌ではコーヒーを選択した様子が窺えます。

コーヒーの場合、まず砂糖のありなし、ミルクありなしを選択する必要があります。そして、ホットコーヒーなのか、アイスコーヒーなのか。またランチにおいては、食事と一緒にコーヒーをもってきてもらうのか、食事が終わってからコーヒーをもってきてもらうのかの選択もでてきます。

〈選べる〉ではなく〈選ばなくてはならない〉と捉えたところに面白さがあるでしょう。〈選べる〉であれば、選択の自由があるように感じます。しかし、〈選ばなくてはならない〉といわれると、途端に強制や義務を感じるのではないでしょうか。しかたなく選ぶ必要があるといった印象を受けるのです。

ランチのセットドリンクの選択は、果たして選択の自由なのでしょうか。そう主体は疑問を感じているのです。

〈選ばなくてはならない〉と感じてしまうと、途端に窮屈になってしまいますが、別に無理して選ばなくてもいいと捉えてみることも可能なわけで、そう思うと気が楽になりませんか。

つまり、〈選ばなくてならない〉と思うくらいであれば、もういっそのこと「ドリンクは、いりません」といえばいいのかもしれません。「ねばならない」ではなく、もっと自由に選択したいものです。

この歌はドリンクに限った話でしたが、日常にはまったく同じように、〈選べる〉の顔をした〈選ばなくてはならない〉が多数存在していることでしょう。そのときに、その〈選ばなくてはならない〉を捨て去ることができるかどうか。そういう視野も必要になってくるのではないでしょうか。

しなくてもいいはしないでもらひたい。このごろやつと大人がわかる 大松達知『ゆりかごのうた』

人生の総時間をどのような質の時間で埋めますか。

結果的には、その時間の質がどんな人生だったかを決める大きな要因になるのではないでしょうか。楽しい時間で埋めるのか、怒っている時間で埋めるのか、哀しい時間で埋めるのか、無気力な時間で埋めるのか、無感動の時間で埋めるのか…。人生をパズルと見れば、埋めたピースの種類によって、楽しい絵の人生にもなり、哀しい絵の人生にもなるのです。

そうであれば、「しなくてもいい」のピースを埋めるのは、何だか時間がもったいない気がします。どうせなら「したい」ピースで埋めたい。「しなくてもいい」はたくさんあるでしょう。例えば、つきあいだけの飲み会、やりたくないジャンルの勉強、話題についていくためだけの情報収集、実りのない会議、子どもへの過剰な期待、他人の評価を気にしすぎること等々…。仕事において、しなければならないと思っている資料づくりでも、本当はそこまで力を入れてしなくてもいいものかもしれません。人生に無駄はないといわれますが、無駄に近いことは存在すると思います。できれば、そういう無駄に近いピースは減らしたい。結果、できあがるのは、「したい」で埋められた楽しい人生の絵なのかもしれません。

「しなくてもいいはしないでもらひたい。」は、本当にそうだと感じます。しなくてもいいことを無理にする必要があるのでしょうか。

気をつけなければならないのは、実際は「しなくてもいい」ことなのに、それを「しなければならない」ことだと思い込んでいないかという点です。目の前の出来事を、本当にしなければならないことなのかと一度疑ってみることは大切だと思います。よくよく考えると、しなくてもいいことだったり、したくないことだったり、しなくても大して問題ないことだったりすることも少なくありません。

何度もいいますが、人生は有限です。有限の時間を埋めるのは「しなくてもいいこと」ではなく、「したいこと」であれば、人生が充実してくるのではないでしょうか。

最後にもう一度繰り返します。

「でなければ」「ねばならない」を脱ぎ捨てましょう。

そうしなければならないと思い込んでいる理由は何でしょうか。誰に、あるいは何に強制されてそう思い込んでいるのでしょうか。

自分の胸に手を当てて、改めて問いかけてみたいものです。「でなければ」「ねばならない」を手放したとき、人生が1mmでもよい方向に動き出すかもしれません。

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