tankalife「人生を1mmでもよくしたい」の第17回(「視点」の第5回)です。今回は「楽しみを見つける達人になる」と題して、日常における楽しみを見つけることについて見ていきます。
おいしいと評判のレストランで期間限定ディナーを食べる、旅行に出かける、音楽フェスティバルにいく、イベントや夏まつりにいく…。
坦々と流れる日常において、こういった出来事は日常に変化をもたらしてくれる楽しいものです。すべてを実行することはできなくても、これらのうちでいくつかでも自分が好きなことを行うことができれば、とても楽しい気分になるものでしょう。
しかし、楽しさを追求するために、これら特別な場所に出かける必要があるでしょうか。
外食、旅行、フェスティバルなどは、もちろん楽しさを連れてきてくれるでしょう。どこかに出かけるという点でいうと、私も、入ったことのないカフェに入ってモーニングセットを食べてみるのが好きで、楽しい時間のひとときを感じます。特に、人が少ない日のカフェは落ち着いていて、ゆっくりすることができるので気に入っています。
しかし、特別な場所に改まって出かけなくても、探せば日々の日常の中に楽しいことはいくらでもあるでしょう。
例えば、朝起きてから通勤するまでの間の、次のようなちょっとした出来事はどうでしょうか。
- 今日も無事目が覚めたと思う
- 体の調子はそれほど悪くない
- カーテンを開けると心地よい光が入ってくる
- 晴れている空を見て楽しいと思う
- 自然と笑みがこぼれて楽しいと思う
- 朝食用に昨日買っておいたロールパンがおいしい
- 次の信号はちょうど青に変わるだろうかと期待していくと、ちょうど青に変わってタイミングよく渡れて楽しくなる
- 通勤の電車に乗るとき、ドアの手前で「お先にどうぞ」といわれる
- 電車の中は座れるほど空いてはいないけれど、それほど混んではいるわけではない
- 電車内の冷房が効いていて心地よい
- 電車内の中吊り広告を読んでいて楽しくなる
- 安全運転で車両がほとんど揺れない
- 大きな事故なく、無事に目的の駅に到着できた
- 階段で転ぶことなく降りることができた
- 改札をスムーズに通り抜けることができた
- 駅前で話している学生が楽しそうに笑っているのを見て、こっちまで楽しくなってきた
- 駅で借りたレンタサイクルの管理番号が315(サイコー)だった
「ちょっとしたこと」といえば、「ちょっとしたこと」でしょう。
起床して通勤するという毎日のルーティンにおいても、楽しみを見つけだそうとすれば、このようにいくらでも見つけだすことができるのです。
通勤という同じ時間を過ごすに当たって、ブスッとしてつまらない一日の始まりだと思いながら過ごすのか、それとも今日も楽しみがたくさんあって気分がいいなあと思って過ごすのか。この違いは結構大きいのではないでしょうか。どうせなら、気分よく過ごしていたいものです。
それでは、楽しみや喜びを詠った短歌を何首か見ていきたいと思います。
次はあの日付をたのしみに生きる そのほかの日の空気の匂い 永井祐『日本の中でたのしく暮らす』
突然ですが、「明日以降、あなたの人生には、楽しいと思える日は死ぬまで一日たりとも訪れることはありません」と宣告されたらどう感じるでしょうか。
おそらくいい気分はせず、つらく感じることでしょう。人が生きていけるのは、衣食住が充分であることはもちろんですが、本当の意味で生きていくためには、未来に希望があると信じられるからなのかもしれません。希望の杭が未来日の、しかもそう遠くない未来のどこかの日にあれば、その日を楽しみにして、今現在のつらさも辛抱できるのではないでしょうか。
私も職場に通う中で、月曜日の午前中が特につらかったです。そんなときは、次の週末に子どもと楽しく遊ぶ様子を思い浮かべながら、何とかやり過ごしてきました。そして、その週末が終わって次の月曜になれば、またその楽しい日を思って生きてきました。
楽しみな日はいくつあってもいいのです。もちろん毎日が楽しいといえれば最高ですが、なかなかそうもいかないでしょう。であれば、楽しみな日以外に思い悩むよりも、楽しみな日を何度も想像することで今という時間が少しでも楽になるのであれば、それはそれでいいのかもしれないと思っています。
よろこびがよろこびのまま夏の陽のやうだよぼくは汗をよろこぶ 染野太朗『初恋』
自然そのものに触れたと感じるとき、大きな喜びに包まれます。
主体は汗をかいているのでしょうか。その汗をかいている状態を喜んでいるのです。夏の日差しの中で、スポーツや運動をしていたのかもしれません。
汗をかくという行為は、スポーツや運動をしていれば、ごく普通の出来事でしょう。しかし、その汗をかける状態を喜べるかどうか、楽しめるかどうかは、その人にかかっているのです。「汗をかく」という行為は万人に共通していたとしても、その行為をどう捉えるかは、その人が自分自身の人生にどう接しているかによるのだと感じます。
「よろこびがよろこびのまま」という表現が素敵ですね。「よろこび」を何か別のものに、例えばお金や時間に換える必要はまったくありません。「よろこび」は「よろこび」のままであること、それが「よろこび」にとって一番うれしいことなのです。
「汗」に喜びを見いだせる視点がもてるということは、とても豊かなことだと思いませんか。
以下で触れる二首は、楽しみそのものを詠った歌とは少し異なりますが、人生という大枠において、どういう視点をもっていけばいいかを考えさせられる歌です。
したいことだけして生きるしたいこと特にはなくて息をしている 島楓果『すべてのものは優しさをもつ』
したくないことをする時間をできるだけ減らし、したいことをする時間を増やす。
そんな当たり前のようなことを少しずつでも続けていれば、人生はだんだんときっとよくなっていくと思います。もちろんそんなことは皆わかっているのです。わかってはいるのだけれど、日々にはどうしても避けられないことやしなければならないことが発生し、それがしたくないことだったとしてもせざるを得ないことはあるでしょう。
私も職場での望まない人間関係や嫌だと感じる仕事に関わる時間を減らし、おいしいものを食べたり、本を読んだり、子どもと遊んだり、どこかへ出かけたりする時間をできるだけ増やすように意識してきました。
「したいこと」は日常の小さなこともあれば、ライフワークになり得る大きなこともあるでしょう。この歌では、後者の人生に関わる大きな「したいこと」を指しているのかもしれません。「したいこと」を見つけましょうと書かれた本もよく目にしますが、したいことはないよりある方がいいとは思います。けれども、ライフワークに関わるような「したいこと」がすぐに見つからなかったとしても、嘆く必要はありません。
この歌の主体はしたいことがないけれども「息をしている」のです。つまり、生きていくことはできているわけです。生きていれば、いずれどこかでしたいことが見つかるかもしれません。ですから、したいことがないことを責めるのではなくて、したいことが決まっていないということは、無数の選択肢があると捉えてみてはどうでしょうか。無数の選択肢があるという状況は、ある意味とても恵まれていると思います。これから何かを選んで、それがしたいことになるとワクワクしながら想像することは、楽しいことだと感じます。
まずは「息をしている」、そのことに楽しみを見いだすところからスタートしてみるのも悪くないでしょう。「ああ、今自分、息しているなあ」「四秒くらいで吸って、五秒くらいかけて息を吐いているかな?」「吸い終わった後と、吐き始める最初に、呼吸をしていない若干の停止時間があるな」「あれ、今の呼吸、さっきとまったく同じ秒数で吸ったり吐いたりしていたな」「息に注意を向けるってなんか楽しいかも…」など。
「息をしている」という状況があるなら、そこに楽しみを見いだすのも、それはそれでとても大切なことなのかもしれません。
ひとりだと選んでしまう道があるだろうおまえの薄い胸にも 木下龍也『オールアラウンドユー』
人生を考えさせられるスケールの大きな一首だと感じます。
「ひとりだと選んでしまう道」は、通勤や通学などに関連して、実際の道路や路地を指しているとも採れますが、ここでは人生の道筋のようなイメージで捉えたいと思います。
何の制約も、また誰の干渉も受けずに選択できる行き先が「ひとりだと選んでしまう道」なのではないでしょうか。その道こそ最も大切にしたい道です。自分が選択したり判断したりする際に、自分以外の何かが入り込んでくると、その選択や判断は果たして本当に自分のものといえるのでしょうか。自分のものではなく、他人の判断になっていないでしょうか。
では、道を選ぶときに何を基準に選べばいいのでしょうか。それは、自分が楽しいと感じるかどうか、ワクワクを感じるかどうかを基準に選ぶのがいいと思います。楽しみ基準やワクワク基準で選べば、自分の選択が後々後悔することが少なくなると感じています。
これを、誰か周りの人が勧めてきたから、お金が儲かりそうだから、社会的には地位があるとされているから、といった理由で選んでしまうと、うまくいかなかったときにがっかりしてしまいます。もちろん、直ちにこのような理由が駄目だというわけではありません。このような場合でも、その中に楽しみがあって選んだということであれば納得がいくかもしれません。ただ、本当は気乗りしないのに、流れで選んでしまったとなれば、後悔する可能性もあるので、その見極めが必要となってくるでしょう。
このような人生の道の選択においても、楽しみを見いだせるかどうかが大きく影響しているのだと感じます。
最後に、もう一度今回の題である「楽しみを見つける達人になる」に触れておきたいと思います。
忙しい日々において、休みもなかなか取れないし、どこか遠くへいく時間もない。楽しいことなんてひとつもない。と思っている人はいませんか。
改めて述べますが、楽しいことは、どこか遠くの場所に存在しているわけではありません。楽しいことは、今自分がいるこの場所にも存在しているのです。
あらゆることに対して、自分が楽しいと思えば楽しいですし、楽しくないと思えば楽しくないのでしょう。楽しいかどうかは、身の回りに存在するあらゆることに楽しさを見いだせるかどうかにかかっているということでしょう。
楽しみを見つける達人になることができれば、日常の色々なことが輝いて見えてきます。
今日の、今この瞬間、今目の前にあるものに「楽しみ」を見いだしてみてはいかがでしょうか。



