将棋の歌 #3

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将棋の歌3

目にせまる一山の雨すぐなれば父は王将を動かしはじむ
坂井修一『ラビュリントスの日々』

坂井修一の第一歌集ラビュリントスの日々(1986年)に収められた一首です。

天気は雨。都会の街中の雨ではなく、山の見える場所で雨がまっすぐに降っています。

雨、将棋、父と子といった状況から、縁側で将棋を指している場面を思い浮かべました。雨の音を直に聞きながら、将棋盤に向かいあっているのではないでしょうか。縁側の少し薄暗い感じが漂っています。雨と将棋の取り合わせが雰囲気を醸し出しています。

雨の音以外には何か聞こえるでしょうか。二人を邪魔する音は、他には何もなさそうです。例えば、ここにビル工事の音などは一切ないでしょう。工事の音や選挙カーの応援演説の声などがあれば、たちまち雰囲気を壊してしまいそうなものです。

さて、この歌に登場する「父」はどっしりとして何事にも動じない、そのようなイメージがあります。「動かしはじむ」のあたりに、どっしりとして落ち着いた雰囲気の父の姿が現れているようです。

将棋において、王将を動かす場面は大きく二つあると思います。ひとつは序盤の囲いをつくる場面、もうひとつは終盤で追い詰められて、相手の攻撃から逃げている場面が考えられます。この歌はいずれの場面でしょうか。

この歌の父の悠然とした印象から、追い詰められて慌てて逃げている場面ではなく、序盤でどっしりと陣形を整えていく場面がふさわしいように感じます。

実は、坂井修一による自歌自註がブログに掲載されており、次のように書かれています。

まっすぐに雨の降り続く山の光景を窓にして、親子で将棋をさしている。居飛車か振り飛車か、最初の戦法が決まって王将を囲みはじめるとき、父はあらためて悠然と身構えたようだ。淡々と、しかし重みをもって「王将」を動かす父。子の挑戦をどう受けるだろうか。

作者自身の自歌自註によれば、最初の戦法を決め、王将を囲み始める場面となっています。まさにこれから戦おうとする前の、自陣の守りをかためる場面における「王将を動かしはじむ」だったわけです。これから始まる親子の勝負の行方はどうなっていくのでしょうか。

冒頭で、縁側の場面を想像しましたが、自歌自註では「窓にして」とあるので、縁側ではないかもしれません。窓の内側で、雨に濡れる心配のない場所ということになります。ただ、自歌自註ではそのように書かれていても、一首の歌が提示されたとき、どのように読むか、どのような場面を想像するかは、読み手の自由に委ねられています。場合によっては、自歌自註よりもいい読みがなされることもあるくらいです。ですので、私は縁側を想像しましたが、その読みはそれでひとつの読みであり、それが決して間違いというわけではないことだけは断っておきたいと思います。

したがって、「王将を動かしはじむ」で終局間近の場面を想像する読み手がいても、それは一向に不思議ではなく、読み手がどう感じるかということなのではないでしょうか。ただ、この歌のたたずまいからいえば、どっしりとした印象があるので、私は序盤がふさわしいと読み、結果自歌自註においても、序盤であると書かれていたわけです。

自歌自註があると、読みのひとつのヒントにはなりますが、自歌自註を超えるもっと素晴らしい読みが存在する可能性があることは意識しておきたいと思っています。

掲出歌については、勝負の行方、父と子の対峙などいろいろなことを想像させてくれる「まっすぐに雨の降り続く山の光景」が印象に残る一首です。

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