【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【受容⑩】弱ったときは、食べて眠って体の反応に任せる

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【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【受容⑩】弱ったときは、食べて眠って体の反応に任せる
tankalife

人生を1mmでもよくしたい」の第39回(「受容」の第10回)です。今回は「弱ったときは、食べて眠って体の反応に任せる」と題して、自分を休ませて、自分を大切にすることについて見ていきます。

学校でも、仕事でも、家庭でも、地域活動でも何でもそうですが、うまくいかないときほど疲れてしまうものです。そして、疲れるような状況になるときほど、もっと頑張らなければと思ってしまうものではないでしょうか。

心や体が疲れていると訴えてきているのに、そういうときに睡眠を削ってまで無理をすると風邪を引くなどして、体調を崩してしまいます。

私も、一旦風邪を引いてしまうとなかなか治らないようになってしまいました。若い頃は数日で治ることが多かったと思いますが、近頃は長引くようになってしまいました。熱が出るときは、高熱はいっときであっても、その後一週間ほど微熱が続くこともありますし、咳が二週間ほど続く場合も増えたように思います。特に睡眠不足のときは、風邪を引きやすいと感じています。昔と比べて、免疫力も回復力も落ちているのかもしれません。

結局、無理をして風邪を引いてしまうと、風邪でダウンしているときにほとんど作業できませんし、効率も落ちてしまうでしょう。

ですので、もっと頑張らないとという気持ちはよくわかるのですが、何か疲れているなあ、弱っているなあと感じるときは、無理せずゆっくり休むことが、長い目で見れば体調を崩さずに済むのではないかと思います。

自分が好きなものを食べて、ゆっくり眠って、体の反応に任せてみるのがいいのではないでしょうか。そして、気力も体力も回復するまではじっと待つことが大事なのだと思います。

自分を休ませてあげることは、自分を大切にすることです。

自分に向き合い、自分を休ませ、自分を大切にしている姿が感じられる短歌を見ていきましょう。

カロリーは偉大なりけりとりあえず食えば少しは淋しさの減る 生沼義朗『関係について』

こちらは「淋しさ」を感じたときに、食べて回復しようとしている場面を詠っています。

この日は、何か淋しさを感じることがあったのだと思います。その淋しさをダイレクトに見つめて、何とか淋しさを紛らわせようとしても、どうにもならなかったのかもしれません。つまり、淋しさを解消するために、直接淋しさにアプローチしようとしても、なかなかうまくいかないのではないかということです。

そこで、主体はとりあえず食べたのです。本当はあまり食べる気も起きていなかったかもしれませんが、とにかく何かを食べたのです。何も食べないと余計に落ち込んでいく一方だったのでしょう。しかし、食べることによって、少し淋しさが減ったというのです。

気持ちは淋しさを抱えたままなのでしょうが、体は正直で、食べ物を摂取したことで体の方が回復してきたのでしょう。「カロリーは偉大なりけり」という表現が、まさにその回復力を端的に表しているのではないでしょうか。

食べることは、すなわちカロリーを摂ること。カロリーを摂取すれば、体が反応し、体の反応が、淋しいという気持ちを緩和させてくれたのだと思います。

淋しいとき、落ち込んだとき、疲れたときなどは、まず食べることが大切であり、その偉大さをこの歌は存分に伝えてくれているのではないでしょうか。

生きたいと思えるようになるまでは生きると決めて膨らます肺 島楓果『すべてのものは優しさをもつ』

生きることは、日々問いかけの連続であり、決断の連続でもあります。また生きていれば、なぜ生きているのかという「生きる意味」を探したくなることもあるでしょう。

心の底から人生に納得して生きるのは、簡単なようでなかなか難しいことでしょう。

「生きたいと思えるようになる」という心境になることができれば、それはとても素晴らしいことのように思います。けれどもそのような心境になれないときもきっとあるでしょう。

主体はまだ「生きたいと思えるようになる」ところまではいっていません。しかし「生きたいと思えるようになるまでは生きる」ということを決断したのです。これは大きな決断だと思いますし、同時に肯定的な決断でしょう。

今はまだ心の底から「生きたい」というふうには思えていないけれども、いつか本当に「生きたい」と思えるようになる日が来ると信じて、その日までは生きてみようという思いが表れています。

「膨らます肺」は大きく呼吸をしたということでしょう。生きることは呼吸をすることでもあり、通常呼吸が止まってしまえば生きていくことはできません。

「生きたい」と「生きる」は同じではありません。「生きたい」には意志が入っていますが、「生きる」には必ずしも意志があるわけではなく、状態を表しているだけの場合も含みます。しかし、主体が「生きる」と決断したことに晴れやかな思いを感じますし、肺の膨らみは、今後の希望のようなものを暗示しているのではないでしょうか。

現状は「生きたい」と思っているわけではありませんが、そう思えなかったとしても「生きる」と決めたところが何よりも大切なことだと思います。「生きたい」と思えるようになるまでは、じっと待つ。それも必要なことだと感じます。

この歌は決して後ろ向きではなく前を向いている歌であり、読み手の心を少し楽にしてくれるのではないでしょうか。

よりどなく生くるといへど日が差せば冬あたたかきひかり身に浴ぶ 坂出裕子『日高川水遊』

「人はひとりでは生きられない」。この言葉をよく耳にすることがあります。

確かにこの世に存在するのが自分ひとりというわけではありませんし、生きるということは他者との関係性の中で生きていくということですし、ある意味他者との関係性の中でしか生きられないということもできるでしょう。

ですから、人に迷惑をかけてはいけないともいわれますし、反対に人に迷惑をかけていいんだよ、人を頼っていいんだよといったこともいわれます。それは正解不正解というよりも、そのとき置かれた状況によって刻々と変わっていくものなのかもしれません。

さて、この歌は、そのような他者との関係性は関係性としてあることは承知の上で、「よりどなく生くるといへど」という詠い出しになっています。

ここでいう「よりど」は「場所」でもあり、「人」でもあり、あるいは「時間」でもあるのでしょう。まったくの孤立という状況ではないのかもしれませんが、自分自身の感覚として自分は「よりどなく生くる」という思いをもって生きているということなのではないでしょうか。あるいは矜持と捉えることもできるでしょう。

さて、そんな「よりどなく生くる」主体にとって、唯一の「よりど」といえるのが日差しなのではないでしょうか。特に寒い冬に差す日のあたたかさは、生きている実感を与えてくれるものなのでしょう。

「冬あたたかきひかり身に浴ぶ」という表現からは、主体が全身に冬のあたたかい日差しを身に受けて包まれている様子が浮かび上がってきます。

「よりど」がなければ、生きていくことに対していつか心が折れてしまうこともあるかもしれません。しかし、そんなときに日差しがあれば、また生き続けようと思うことができるのではないでしょうか。一般にいう拠りどころはなくとも、日差しがあれば、それこそが生き続けていくための「よりど」となっていくのでしょう。

冬の日差しを全身に浴びる姿がこれほどあたたかく、体の内側から回復していくような、幸せに満ちあふれた様子が感じられる歌ではないでしょうか。

明日もまた心立たせん夜のふけて熱きシャワーに身を搏たせゐつ 雨宮雅子『昼顔の譜』

一日を終えて、夜にシャワーを浴びている場面です。

単に、体の汚れを落とすために浴びているのではありません。体の汚れを落とすのはもちろんですが、それ以上に心に向けてシャワーをかけているような印象を受けます。

「明日もまた心立たせん」に、力強い意気込みが伝わってきます。一方で、この意気込みの強さからは、この夜の心が相当疲れていただろうことが想像されるのではないでしょうか。今日も一日、気を張って心がすり減ったのかもしれません。気持ちが落ちているからこそ「心立たせん」と奮い立つのだと思います。もし、心が充実していたら、「明日もまた心立たせん」というほどまでには至らないのではないかと思うのです。

この心を回復させるものが、この夜の「熱きシャワー」だったのではないでしょうか。「熱きシャワーに身を搏たせゐつ」は、体へシャワーを浴びせることで、体を癒すとともに、そこから心の澱を洗い流しているような感じがします。「浴びせゐつ」ではなく「搏たせゐつ」にも、漫然とシャワーをしているのではなく、明確に照射しようとする姿が見てとれるのではないでしょうか。

シャワーなしに明日の心を奮い立たせようとするよりも、熱きシャワーの力を借りることで「明日もまた心立たせん」に何とか接続できるのだと思います。

熱いシャワーを浴びた体からもたらされる明日の心はいかばかりかを考えさせられる一首です。

さながらに冬眠の熊とおもひつつふとんを被るけふはおしまひ 小島熱子『ぽんの不思議の』

この日は、あまりい一日ではなかったのかもしれません。「けふはおしまひ」に、もう今日はおしまいにしたいという感情が滲み出ているように感じられます。決して、落ち込んで精神的に立ち直れないという状況ではありませんが、今日はここで区切りをつけたいという思いが感じられるのではないでしょうか。

そして、「おしまひ」にする手段として選択されたのが「ふとんを被る」です。もう寝てしまおうというわけです。眠ってしまい、次起きるときには、心も体もまた新たになっているかもしれません。そういう意味では、何かうまくいかないなあ、疲れたなあというとき、眠るのはとても有効な方法ではないでしょうか。

さて、これが単に眠るだけの歌であれば、特に代わり映えしない歌かもしれませんが、そうではなく「さながらに冬眠の熊とおもひつつ」が、この歌に引っかかりをもたらしてくれています。

熊の冬眠ともなれば、数か月にわたります。しばらくは外界との接触がありませんし、飲まず食わずの状態でしょう。

そんな冬眠の熊を自分にあてはめ、ふとんを被ったところに、区切りをつけようとする思いの強さが見てとれると思います。もう本当に、「けふはおしまひ」にして、すべて忘れて眠ってしまいたいのでしょう。次起きるのは、おそらく明日でしょうが、「冬眠の熊」ですから、明日でなくてもかまわないと感じているかもしれません。次目が覚めたときが起きるときでいいくらいの感じでしょうか。

休むときは徹底的に休むのも大切です。そんなときは「冬眠の熊」を意識するといいのかもしれませんね。

さて、以上、食べたり、眠ったりして自分を休ませる歌を見てきました。

繰り返しになりますが、心も体も本当に疲れたときは、無理せずゆっくり休むことが必要でしょう。休むことは自分を大切に扱うことでもあります。

「弱ったときは、食べて眠って体の反応に任せる」を意識してみてはどうでしょう。

体の反応が、自分の調子のバロメーターになることがあります。弱ったときは好きなものを食べて、好きなだけ眠って自分をいたわっているうちに、また心と体の回復につながっていくのではないでしょうか。

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