tankalife「人生を1mmでもよくしたい」の第33回(「受容」の第4回)です。今回は「あせらず、急がず、After you」と題して、慌てず急がずに生きていくことについて見ていきます。
いきなりですが、安野モヨコ氏のマンガ『働きマン』に次のセリフが登場します。
君は、急いでないのにかけこみ乗車するタイプでしょ。ベルが鳴ると条件反射で走るんだよね。
思い当たる節はありませんか。時間には余裕があるし、今すぐ目の前の電車に乗らなくても大丈夫なのに、つい駆け足で、すでに人であふれている電車に飛び乗るということはないでしょうか。
私も、かけこみ乗車とまではいいませんが、結構これと似たことをしてしまっているように思います。次の電車を待ってもいいとはわかっているのですが、もうすぐ発車しますといわれると、多少急いででも乗ってしまいたくなることがあります。
なぜ、人はこうも急いでしまうのでしょうか。
何か時間を損したような気になるからでしょうか。待ち時間を嫌うのかもしれません。今の電車に乗っていれば、10分待たなくて済んだのにと思う気持ちもよくわかります。
電車とは異なりますが、相手があるケースでも待ち時間は発生します。例えば、誰かとの待ち合わせのときに、相手が遅れてきたらあまり気持ちのいいものではありません。遅れてきた相手を待っていた時間が、もったいないように感じられるのです。こっちは早く待ち合わせ場所にきているのに、遅れてくるなんて、私の時間を軽く見て、いい加減に扱っているんじゃないのと思うこともあるでしょう。時間をロスしたくないという気持ちが、焦ったり、急いだりしてしまう行動に関係しているのかもしれません。
ザンビア共和国の時間感覚
私は、JICAの青年海外協力隊に参加していたとき、アフリカのザンビア共和国に赴任していました。総合的に見て、現地の人は、よくいえばおおらかなのですが、とにかく日本人と違って、時間を守る人はほとんどいませんでした。何時に集合といっても、5分、10分遅れてくるのは当たり前ですし、1時間以上遅れてきた場合もありました。それで、遅れてきても、一応「Sorry」と謝りはするのですが、全然悪びれている様子はありません。遅れてきたことに対して、それほどの罪悪感はないようなのです。
私も最初は、なぜ遅れるんだとかなりイライラしていたのですが、もうそういう文化なのだと諦めて、遅れるのが当たり前なんだと、最後の方は受け入れるようになっていきました。そもそも、そのような文化圏に、「時間は守らなければならない」という日本の考え方をもち込もうとしたのが間違いだったと、今なら感じます。
ですから、現地の人で、あまりイライラしている人を見たことはありませんでした。今考えると、人生に対しても、ゆったりとした感じで生きていたのではないかと、勝手に振り返っています。
私も赴任当初は、時間に厳格にしようと意識していたのですが、それにも疲れてきて、もうそんなに急がなくてもいいかなという思いに徐々に変わっていきました。
さて、ザンビア共和国において、時間の話に関連して思い出す言葉がふたつあります。
ひとつは現地の言葉です。私の赴任先では、通常英語が使用されていましたが、現地の言葉として、ベンバ語という現地語がありました。その中で「Mailo」(マイロ)という言葉があったのですが、面白いのはその意味です。実は「Mailo」は「明日」も意味しますし、「昨日」も意味する言葉なのです。「明日」と「昨日」がまったく同じ言葉というのは、混乱しないのかと思いますが、文脈で使い分けているようでした。
時間的には対極に位置するような「明日」と「昨日」がまったく同じ言葉であるというあたりも、時間の円環のようなゆるやかなイメージと相まって、せかせかとしていない性格に少なからず関連していたのではないかと思っています。
もうひとつは現地でよく聞いた英語です。
それは「After you.」というフレーズです。
「お先にどうぞ」という意味です。例えば、建物に入るとき、ドアの前で「After you.」。一人分しか横幅のない細い道を歩くときなどに、よくいわれたように記憶しています。
「お先にどうぞ」と伝えるときの似た英語表現に「Go ahead.」「Please go first.」もありますが、これらはどちらかといえば直接的な表現です。それに比べると「After you.」は、丁寧さが伝わってきますし、譲るイメージがあるので好きな表現です。時間に対してゆるやかな態度をもっていたザンビアの人たちでしたが、あまり急いでいないから、自然とこのような言葉が出てくるのだと思います。我先にと急いでいたら、「お先にどうぞ」なんていえないですから。
「After you.」を知ってから、ずっといいフレーズだなと思ってきました。このような余裕をもって、日々を過ごしたいですし、人が密集する場であれば、そのように振る舞いたいものです。
青年海外協力隊の任期を終えて日本に戻ってきてからも、「After you.」の精神を忘れたくなくて、「After you.」とは声には出しませんが、特に急いだり、慌てそうになったりしたときは、心の中で「After you.」と唱えています。
建物の入口、エレベーターのドアなど、実際誰かを先にお通しする際に声に出すのは「どうぞ、お先に」です。
色々と忙しい日々の中で、ついつい余裕がなくなってしまう場面があるのは仕方ないと思います。でも、多少なりともゆとりがあるときは、「あせらず、急がず、After you」の精神で、日々を過ごしてみるのもいいのではないでしょうか。意識するだけで、心がゆったりとして気分よく過ごすことができると思います。
それでは、急いでいない様子を詠った短歌を順に見ていきたいと思います。
「急がない」を感じる短歌
名月を正面に見て歩く時次々人に抜かれてもいい 小川佳世子『水が見ていた』
名月が、正面の夜空に輝いているところでしょうか。その月を見ながら、ゆっくりと歩いているのでしょう。
そのとき、周囲の人々は、自分を次々と追い抜いていったのです。自分はゆっくりと歩いていますから、当然追い抜かれてしまいます。周りの人たちは、おそらく名月を眺めていないのでしょう。普段通りに歩いているだけだと思います。
しかし、主体の方がいつもと違ってゆっくりとしたペースで歩いているため、周囲の人たちとの比較によって、歩く速度に差が出てきてしまったのです。
このときの名月はさぞ美しかったのではないでしょうか。「名月を正面に見て歩く」に、名月を眺めているときの心の充足感のようなものが伝わってくるように感じます。
そして主体は、まったく急いでいる様子がありません。立ち止まって見るわけではありませんが、「抜かれてもいい」に、自分は自分のペースで急がず進んでいくという意思が垣間見えるように思います。そもそも月を見るという行為自体に余裕を感じます。
「次々人に抜かれてもいい」が本当に素敵ですね。もう、その場を歩く人全員に抜かれてもいいのではないでしょうか。主体と月とが向き合う時間にとって、他者がどう歩こうが、どう振る舞おうが関係はないのです。ここに他者との比較はなく、比較がないことが、ゆとりをもたらしているのでしょう。
「人に追い抜かれるなんて絶対嫌」「誰も私の前を歩かないでほしい」という人もいるかもしれませんが、「人に抜かれてもいい」と思っている方が随分楽に生きられるように感じますが、いかがでしょうか。
抜かれても雲は車を追いかけない雲には雲のやり方がある 松村正直『駅へ』
この歌も追い抜かれる視点の歌ですが、登場するのは人ではなく「雲」です。
よく晴れた日ではないでしょうか。青々とした空に、白い雲が映えている様子が思い浮かびます。雲はゆっくりと動いているのでしょう。
雲のスピードと車のスピードはどちらが速いのでしょうか。調べてみると、雲が進む平均速度は40~50kmで、車のスピードとそれほど違いはありません。風が強い日は雲の方が速く動くようですが、反対に高速道路を走る車であれば、平均的な雲の動きより車の方が速く進むことになるでしょう。
このように速度の面でも車が雲を追い抜く状況はありますし、実際車で移動しているときにも、目の前に見えていた雲がだんだんと近づいてきて、ある時点を境に追い抜いたと実感できる場面もあるでしょう。
そう考えると雲は度々車に追い抜かれているのです。しかし、たとえ車に抜かれたとしても、雲は抜き返してやろうなどとは思いません。車がそこに存在していることなど、まるで知らなかったように、自分のペースでゆっくりと動いていくだけなのです。
「雲には雲のやり方がある」のフレーズがとてもかっこよく感じられます。ここからは、車という他の存在の影響をまったく受けない雲の確固たる存在感が感じられるのではないでしょうか。別に、車が急ごうが、人が急ごうが、雲にとっては関係ありません。他者が急いでいるから、自分も急がなければという感覚がまったくないのです。
抜かれたら抜かれたで「お先にどうぞ」といっている雲の姿が浮かんでこないでしょうか。この余裕こそ、人が雲という存在に憧れるひとつの要素なのかもしれません。
この歌は雲のことを詠っていますが、もちろん人の生き方のこと、もっといえば自分自身の生き方を雲に託して詠っているとも読めるでしょう。急がす生きていく「雲のやり方」に惹かれる一首です。
象に乗るインドの聖 はるばるとゆく者はみな急がず行けり 小島ゆかり『エトピリカ』
ここでいう「聖」とは、インドで真理を探究する者や修行者を指しているのでしょうか。長年修行に明け暮れ、神に近い存在になっている者かもしれません。
そんな聖が、象に乗ってゆっくりと移動している場面でしょう。象が移動する速さはそれほど速くないと思います。
「はるばるとゆく者はみな急がず行けり」と詠われており、「はるばる」ですから距離的にかなり隔たった地へ移動するのではないでしょうか。
もし、短時間で効率よく移動しようとするのであれば、車や列車、飛行機などの乗り物を利用するでしょう。しかし、聖は乗り物を使わず、象に乗って移動するのです。
また「はるばる」には距離的な隔たりだけではなく、時間的な隔たりも含んでいるでしょう。真理や悟りの境地というのは一朝一夕で成るものではありませんから、この「はるばる」には歳月を感じます。
距離的にも時間的にも遠くにいくような印象でしょうか。そこへ向かうとき、聖は「みな急がず行けり」なのです。このゆったりとした感じがが何とも心地いいではありませんか。
象のどっしりとしてゆったりとした感じ、慌てず急がず「はるばるとゆく」この感じが何とも好きです。急げば、途中で息切れしてしまうかもしれませんが、急がずにいくからこそ「はるばると」遠くまで到達できるのかもしれません。
沖縄の風を感じる 急がない男になれとうりずんの風 三枝昻之『遅速あり』
「うりずん」とは沖縄の言葉で、2月下旬頃から4月下旬にかけての時期を指します。
「沖縄の風を感じる」とありますが、その風がいつの風だったかというと「うりずんの風」だったのです。
主体は春先に沖縄にいったのでしょう。そして、全身で風を感じたのだと思います。そのときに、ふと風から教えられたような気がしたのではないでしょうか。「急がない男になれ」と。
このときの風は、とても穏やかで、やわらかで、ゆったりとした風だったのではないでしょうか。その風の存在そのものが「急がない男になれ」を感じさせてくれたのだと思います。
ひょっとすると、主体はこれまで「急ぐ男」だったのかもしれません。何かと生き急いできたことも想像することができます。しかし、だからこそ「うりずんの風」が沁みたのではないでしょうか。
沖縄という場所、うりずんという季節。そこでしか、そのときにしか感じられない風が、「急がない男」を生み出していくきっかけになることをこの歌は伝えてくれるように思います。
だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもないし 宇都宮敦『ピクニック』
この歌、本当にいいなあと感じます。読んでいて、それこそ急いでいる感じがまったくしません。三つの一字空けの効果もあり、全体のリズムもゆったりとしているのだと思います。
まず初句で「だいじょうぶ」と詠われています。表記は平仮名で、漢字の「大丈夫」に比べてやわらかさが伝わってくるのではないでしょうか。
そして「急ぐ旅ではないのだし」と続きますが、ここでは、旅は旅でも急がない旅を想像することができるでしょう。そして「急いでないし」と改めて、急いでいないことが強調されます。
しかし、結句で「旅でもないし」と登場するところで、「急ぐ旅ではないのだし」の「旅」は、いわゆる旅行ではなかったのだと思い知るのです。
では、この「旅」は何なのかといえば、もうこれは「人生」そのものといってしまってもいいのではないでしょうか。人生をどう捉えるかは人それぞれですが、ここでは「急ぐ旅ではない」というふうに捉えているのだと思います。そんなに慌てなくても、急がなくても大丈夫だよといってくれているようです。こういわれると、本当に心が落ち着きます。
何か急いでいることがあっても、この歌を思い出すだけで、心に余裕が生まれるのです。何か急がないといけないと思い込んでいただけで、本当はそんなに急がなくてもいいのではないかと思えるのです。
以上、急がなくてもいいと感じる短歌を見てきました。
改めて、人生はそんなに急がなくてもいいのではないかと感じます。急ぐことで見落としているものがないでしょうか。急がないからこそ、見える景色がきっとあると思います。
一旦立ち止まって、自分のペースをもう一度確認してみてはいかがでしょうか。


