【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【視点⑨】手放すことを許すと自由がなだれ込む

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【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【視点⑨】手放すことを許すと自由がなだれ込む
tankalife

人生を1mmでもよくしたい」の第21回(「視点」の第9回)です。今回は「手放すことを許すと自由がなだれ込む」と題して、モノや作業を手放すことについて考えていきます。

断捨離、ミニマリスト、シンプリストといったキーワードがすっかり定着している昨今ですが、みなさんは不要な”モノ”を簡単に手放すことができるでしょうか。

私は、なかなかモノを手放すことができない方だと思います。

友人からもらったお土産の置き物、子どもが描いてくれた似顔絵、ほとんど着ることのないオリジナルTシャツ、ハイキングの記念に買った山バッジ、いつか役立つかもしれないと置いているパンフレットなどの紙類、髭剃りの取扱説明書など…。

もちろん大切にとっておきたいものもあれば、おそらく今後一生使うことはないだろうなというものもあります。否定的ないい方をすると、今後使わないものは、部屋のスペースを占領しているだけといえます。一度も使ったり振り返ったりすることなく将来のどこかで捨てるのであれば、今捨ててしまった方がいいのは充分承知しています。でも、なかなか捨てられないのですね。

捨てられないのは、いつか役立つのではないかという思いがあるからかもしれません。一旦捨ててしまうともう二度と手元には返ってきませんから、その点においても、捨ててしまって後悔することはないのかと考えてしまうことにもよるでしょう。

でも、今後一切使わないのであれば、その使わないものは、空間的にも心理的にも領域を圧迫してしまっているのです。これは非常にもったいないのではないでしょうか。使わないものによって、部屋のスペースが狭められ、また気持ちの面でも「これ、いらないと思うけど、とりあえずとっておくか」のように、消極的な保存に気持ちが埋められてしまうことになります。

それでも、最近はできるだけモノを捨てるように心がけています。古くなってもう着ることはない服だったり、使うことはない小物だったり、とにかくそれほど気に入っていないものは、リサイクルに回したり、捨てたりするようにしています。

それが必要かどうかではなく、気に入るかどうかで判断すると案外手放すことは簡単だと感じるようになりました。そう考えると、身の回りにはお気に入りのものはそれほど多くないのかもしれません。

不要なものや不要な関係に囲まれていないかを今一度見つめてみることは大切なのかなと思います。

人間関係については、また機会を改めて触れたいと思いますが、整理するという点では、モノだけでなく人間関係も見つめ直すことが重要なのかもしれません。

捨てるのは、新たなステージのスタートなのだと思います。空いた空間は、新たな素敵なものが入る余地そのものです。そこには何でも好きなものが、自由が入る可能性があるのです。

手放すことで得るものがあること。意識していきたいと思います。

うしなへば自由になれる きつかけは些細で後はとつぴんしやん、と 西橋美保『うはの空』

「うしなへば自由になれる」と詠い始められますが、失うものが一体何であるのかは、この一首には具体的に書かれていません。

方向性としては二つ考えられます。

一つは、嫌なこと、断ち切りたいこと、煩わしいことといったマイナス面のものを失うということです。確かに、そういったマイナス面をなくすことができれば、自分を縛りつけていたものから「自由」になれるのではないでしょうか。

もう一つの方向性は、夢や希望、可能性といった、一般的にはプラスと見られているものを失うということです。プラス面を失うということは「喪失」の意味合いが強くなり、一見「自由」とはかけ離れていると感じるかもしれません。

しかし、夢や希望に固執していた状況があったとすればどうでしょうか。すんなりと自分が望む通りになればいいのですが、なかなかうまくいかず、夢や希望があることで逆に自分が追い込まれていたとすればどうでしょう。そのような夢や希望であれば、失ってしまった方が、「自由」に近づくのではないでしょうか。

マイナス面にしても、プラス面にしても、それとの関わりをもっている状態はある意味「不自由」な状態なのでしょう。関わりをなくすことで、「自由」になれるというのは、何となくわかるように感じます。

さて下句では、「自由」になるきっかけが詠まれていますが、「きっかけは些細」であると示されています。そして「後はとつぴんしやん、と」と続いていきます。

「とつぴんしやん」は、童謡「ずいずいずっころばし」の歌詞にも登場する言葉ですが、戸をピシャンと閉める様を表した言葉、また東北地方の昔話で語り終わった時に「おしまい」という意味の決まり文句として使われる言葉です。

失うきっかけは些細であるのに対して、最後は「とつぴんしやん」といった急で力強さが伝わる表現で、その落差にこの歌の味わいがあるように思います。

失うことは、一旦何かとの関係性をもち、その関係性をなくすことであり、その一連の流れこそが「自由」へつながるために必要なことなのかもしれない、そのようなことを感じさせてくれる一首です。

顔にふる影もぼんやりやわらかく辞めてもいいこと書き出してみる 北山あさひ『ヒューマン・ライツ』

「顔にふる影」は、樹々やカーテン越しに日差しの影を受けている場面でしょうか。そのようなときに「辞めてもいいこと」を書き出している状況です。

「辞めてもいいこと書き出してみる」というフレーズから、「やらないことリスト」を想像しました。

「やらないことリスト」に触れる前に、その対極にあるであろう「ToDoリスト(やることリスト)」について見ておきたいと思います。

業務を遂行するうえで「ToDoリスト」に注目が集まっています。

ToDoリストとは、業務や日々の生活における「やるべき作業」を洗い出し、まとめたリストのことです。作業の抜け漏れを防いだり、優先順位を可視化したり、作業を「見える化」する目的で作成されます。リスト化することで、何をやればいいかが明確になる利点があります。

ToDoリストは一見便利なのですが、とにかく終わりがないのです。例えば、リスト化した項目が10項目あったとしましょう。一項目ずつ完了させていき、7項目終わらせたとします。残り3項目というところで、新たな「やるべき作業」が5項目発生しました。上司から頼まれた仕事かもしれませんし、突発的な不具合対応かもしれません。これもToDoリストに追加していくと、リストは計8項目になります。そうなると、今度はこの8項目に対して取り組まないといけません。リストの中には難しい作業もあるでしょうから、そういう難しい作業は後回しとなり、リストにずっと残り続ける可能性もあります。また、リストの作業項目を減らしていっても、常に新たな「やるべき作業」は発生してくるため、このToDoリストが完全に完了することは決してないでしょう。

このように、ToDoリストは終わりがないため、ずっと負荷やストレスの原因になりやすいデメリットがあります。

さて、一方の「やらないことリスト」はどうでしょうか。

「辞めてもいいこと書き出してみる」は、人生に余裕をつくるためにとても効果的です。

ToDoリストで、本当にあれもこれも詰め込む必要があるのでしょうか。一見「やるべき」に思えている作業は、本当にやる必要がある作業なのでしょうか。

「やるべき」と思っていた作業が、実はやってもやらなくてもどっちでもいい作業だったとしたらどうでしょうか。誰も真剣に読まないデータの月次集計表、とりあえず集まるだけの定例ミーティング、キーパーソンが出席しない会議など…。それらは本当に必要でしょうか。

やめてもいいことであれば、さっさとToDoリストから外し、「やらないことリスト」に載せてしまえばいいのです。やらないと決めたら、その分の時間が空くでしょう。その空いた余裕には、無限の自由がなだれ込む可能性があるのです。

「やるべき」と思い込んでいる作業を改めて見つめ直し、不要だと感じたら手放してしまえばいいのでしょう。

本気ってめっちゃやるってことじゃなくて
打ち震えるほど自由であること 伊藤紺『気がする朝』

先ほどの歌で触れたToDoリストですが、真面目な人ほど、ToDoリストにしっかり書いて、すべてをきちんとひとつずつ完了させなければならないと思い込みがちです。そういうやり方こそが、本気で真剣にやることだと感じる人が少なからずいるでしょう。

それもあながち間違いとはいいきれませんが、この歌を読むと少し考え方が変わるのではないでしょうか。

この歌でいう「本気」は、「めっちゃやるってこと」ではないと詠っています。では、「本気」とは何かといえば「打ち震えるほど自由であること」というのです。

「自由」の定義はなかなか難しいと思いますが、縛られていない、ガチガチでないイメージを思い浮かべればいいと思います。「自由」って、何か余裕があるんですよね。

つまり、「自由」であること、さらには「打ち震えるほど自由であること」が、「本気」なのだということです。「打ち震えるほど」に、思いの強さが伝わってきます。

この考え方は、モノや作業を手放さず、抱え込み、リスト化して抜け漏れがないように管理して…といった方向性とは異なるでしょう。「本気」というのは、抱え込みや管理化に置かれたものとは違いますよとこの歌はいっているのです。

手放したことによって生まれた余白に発生した「自由」こそ、本来求めたい自由なのかもしれません。

満開のなかを歩いて抜けてきたなにも持たない手にも春風 虫武一俊『羽虫群』

梅でしょうか、桜でしょうか。「春風」とあるので、春の季節には違いなさそうです。ここでは、桜として捉えておきたいと思います。

桜が満開の並木道のような場所を想像してみました。頭上に桜が鮮やかに咲いています。樹々の枝が頭上を覆い、そこには満開の桜があふれています。桜の鮮やかな様子を頭上に仰ぎながら、しばらく道を歩いて抜けてきたのです。そのとき、主体は手には何ももっていませんでした。

でも、何ももっていない手にも「春風」は感じられたのです。いや、何ももっていないからこそ、春風をじっくりと感じたというべきでしょうか。

例えば、両手に荷物をたくさん抱えていたとしたら、どうだったでしょうか。満開の桜を視界では捉えられても、春風を両手に感じることはできなかったかもしれません。

何ももたない状態だったからこそ、何ももたない手になだれ込んだものがあったのです。それが春風でした。

あらかじめ、何かで両手を埋め尽くすことも可能でしょうが、埋め尽くさなかったからこそ得るものがあったことをこの歌は教えてくれるように思います。

束縛のなき一日はみづからをほどいてをりぬ陽に干さむため 池田はるみ『亀さんゐない』

この歌は、もうすでに手放した後のような自由さを感じさせてくれる一首です。

自分を縛り上げているものは一体何でしょうか。ひょっとすると、周りの環境のせいにしているかもしれませんが、実は自分で自分を縛り上げている可能性もあります。

束縛されているなあと感じるのは、自分がそう感じているからで、自分で自分を解放してやれば、そこには「束縛のなき一日」が立ち現れてくるのではないでしょうか。

「みづからをほどいてをりぬ」からは、非常にゆったりとして、何にも縛られることなく、自由な様子が伝わってきます。「陽に干さむため」もいいですね。あたたかな陽に包まれた全身は、とても心地いいのではないでしょうか。

それは、陽のあたたかさはもちろん、束縛がないことを心の底から感じていることが大きく影響しているでしょう。手放すことから、身の内にあたたかな陽が入り込んでくるのです。

では、最後にもう一度、手放すことについて振り返っておきましょう。

何かを抱え込むことが大切なように感じるときもあるでしょうが、抱え込んだものを手放すことも、新たなものを受け入れるためには必要なことかもしれません。

逆にいえば、ずっと不要なものや不要な作業を抱え込んでいると、新たな展開は訪れないともいえるでしょう。

手放すことを許すと自由がなだれ込む。

手放すことを許してやることも大切ですね。手放してはいけないと思い込むと、姿勢も思考も気の流れも滞ってしまうような気がしませんか。それよりも、手放してもいいんだと思う方が、よほど心が軽くなるように思います。

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