人生を1mmでもよくしたい 【時間①】人生は一度きりだと思いたい

当ページのリンクには広告が含まれています。
人生を1mmでもよくしたい 時間①人生は一度きりだと思いたい
tankalife

「人生を1mmでもよくしたい」の第1回です。しばらくは「時間」に関して人生をどう捉えるかについて見ていきたいと思います。最初は「人生は一度きりだと思いたい」と題して、関連する短歌に触れながら考えてみました。

人生は一度きりだと思いますか?

突然このように訊かれると身が引き締まる思いがしますが、大きく二つ考え方があるでしょう。

ひとつは、輪廻、前世、来世といった言葉がある通り、死んだとしても肉体が滅ぶだけで魂は永続するという考え方です。今生きている自分が、前世での一生を覚えていないだけで、人生はすでに何度も訪れているのかもしれません。

その一方で、死ねばすべて無に帰すという考えもあります。

輪廻転生があって「来世に期待しよう」といえるなら少しは気が楽かもしれませんが、もしこの一生が一回きりだとしたら、この人生をどう生きていきますか。

「人生は一度きりだから、精いっぱい生きなさい」と型にはまったいい方をしたいわけではありません。そうではなく、人生が何度もあると思うより一度きりだと思った方が、今の人生が濃くなる気がするんですね。昼食ひとつをとっても、その方が、今日のランチのカレーが少しおいしく感じられる気がしませんか。

もし今の一生しかないとしたら、いや今の一生以外に人生があったとしても、今ここに生きている一生は今しかないわけですから、今の一生を納得のいくように生きていきたいという思いが強くなってくるといった感じでしょうか。

雷龍の国にてしのぐ霧雨の、此の人生が一度しかない 光森裕樹『鈴を産むひばり』

人生に関する短歌をひとつあげてくださいといわれれば、真っ先に思い浮かぶ一首です。

「雷龍の国」とはブータン王国のこと。作者はブータン王国へ旅に行ったのでしょう。そこで偶々遭遇した霧雨を凌いでいる場面が詠われています。

前世や来世という概念を一旦脇に置けば、人生は一度きりでやり直しがききません。やり直しがきかず、一度しかないからこそ、泣いたり笑ったりがより一層貴重で尊く感じられるのです。しかし、日々の生活においては目の前で起こることへの対処に必死で、「人生が一度」ということを往々にして忘れてしまいがちです。

この一首からは、作者の日常から遠い異国での、霧雨という特異な経験によって、人生が一度であるということが強烈に意識されたのだと感じます。「人生が一度」という意識は、日常よりもむしろ非日常においてより強く意識されるものなのでしょう。

三句「霧雨の、」の読点がとても効果的で、「此の人生が一度しかない」を改めて意識したという様子が印象深く伝わってきますね。

「此の人生が一度しかない」はストレートな表現ですが、雷龍の国での霧雨という非日常の場面においては、この言葉のストレートさがかえって生の実感をくっきりと伝えてくれています。この歌を思う度、今の人生は一度しかないことを認識しなおし、生に対する思いを改めさせられます。

人生が一度きりかどうかはわかりません。でも、この歌を読むと、一度きりっていいなと思います。一度きりの瞬間が輝いているように見えないでしょうか。

今日の食事は今日しかなく、今日の眠りはやはり今日にしかありません。そんなふうにひとつひとつを丁寧に感じながら過ごしていけば、日々のあらゆる場面が一度きりになっていきます。

一度しかない人生の一度目を生きて迷えり昼のメニューに 松村正直『紫のひと』

人生が一度しかなければ、当然二度目はありません。「一度目を生きて」は、そんな当たり前のことを改めて浮き彫りにしています。

あなたは、昼食のメニューをどのように決めていますか。昼食のメニューは、深く考えず決めることもできます。あるいは短い昼休憩の時間に追われて、本来食べたいものではないものを選択してしまうこともあるでしょう。迷うなんて時間の無駄だと考える人もいるでしょう。

しかし、一度立ち止まってみてはどうでしょう。今日という日の昼ごはんは、今日の昼しか食べられないたった一度の昼ごはんです。「一度きりの今日のランチ、本気で迷ってしまうなあ!」と面白がってみるのもいいですね。そう思うと、昼のメニューに迷う時間すら妙に愛おしくなってきませんか。

さて、昼のメニューから一気に飛躍しますが、たましいを詠った一首が次の歌です。

たましいを紙飛行機にして見せてその一度きりの加速を見せて 服部真里子『遠くの敵や硝子を』

動力源をもたない紙飛行機は、投げるときの手の力、そして風の力や向きによってどこまで飛距離を出せるかが変わってきます。この歌は、紙飛行機の加速を見せてほしいといっているのですが、ここで詠われている「紙飛行機」はただの紙飛行機ではなく、「たましい」そのものなのです。

「たましい」を飛ばすことは、その人がもつ最も根源的な何か、あるいはその人そのものを飛ばすことなのではないでしょうか。うまく飛行すれば、その人の生はうまくいったといえますし、あまり飛距離が伸びずにすぐに落ちてしまえば、あまりうまくいかなかったといえるかもしれません。

「一度きり」だからこそ、その紙飛行機の飛行が尊いものになり、他にとって代わることはできない唯一のものとして捉えられるでしょう。やがて速度が弱まり、地面に落ちる未来があるとしても、飛行の最中の美しさが消えることはありませんし、まして「一度きりの加速」はハイライトに当たる部分ではないでしょうか。

加速はそうそう何度もできるものではありません。一度きりだから思いきり加速できるのです。希望を湛えたそんな人生、かっこいいなと感じます。

もし、自分のたましいを紙飛行機にするとしたら、一体どんな紙飛行機になるだろうと想像してみるのも楽しいものです。ジェット機型か、先端を広げた烏賊のかたちか、はたまた両翼に角度をつけたブーメランタイプのものか…。あまり歪なかたちだと、たましいが歪んでいるみたいで何か嫌ですけど、それはそれで自分らしさを存分に発揮した唯一無二の飛び姿のはずです。

せっかく「たましい」が登場したので、続いて生死にも目を向けると次の歌も一度きりを感じさせてくれるのではないでしょうか。

生の死に方はいくつもあるけれど死の生き方はひとつしかない 島楓果『すべてのものは優しさをもつ』

まるで格言のような趣を湛えた一首ですね。自由に選べる、選べないは別にしても、生から死に向かうとき「死に方」の選択肢はいくつかあるでしょう。それが「生の死に方」です。

一方「死の生き方」はどうでしょう。死ぬ瞬間までの生き方とも採れますし、その人が死んでから周りの人々が「あの人はこんなふうに生きたよね」と振り返る存在価値のようなものとも採れるでしょう。そう考えると「死の生き方」はその人の本質であり、たったひとつに収斂していくのではないでしょうか。ひとつしかないからこそ、その「生き方」が何物にも代えがたい貴重なものとして感じられてくるのです。

私は29歳のときにJICA(独立行政法人国際協力機構)の青年海外協力隊に参加しました。そして2年間、アフリカのザンビア共和国で活動に従事しました。青年海外協力隊については学生の頃から興味があり、いつか参加してみたいなという思いはありましたが、中々勇気が出ず踏み切れずにいました。でも当時は、今挑戦しないと一生いかないだろうなとも感じていました。人生が一度きりだとしたら、なぜ今参加しないのか、そう自分に問いかけたのです。後悔しない選択は、参加することなのか、参加せず現状の日々を維持することなのかを問い続けた結果、勇気を出して参加することを選びました。自分で決めたこのときの加速と決断は、今でも私の人生を支えており、やはり参加してよかったと感じます。

人生が一度きりかどうかは、本当のところはわかりません。ただ、今のこの一生を濃密にするために、人生は一度きりだと思うことは決して悪いことではないといいたいのです。

一度きりだと思って世界を見れば、今日の空も風も空気も、隣にいる人の笑顔も、道端に咲く小さな花も、すべてが期間限定の奇跡に思えてきませんか。一度きりだと思うことがきっかけとなり、物事がいい方向に展開し、結果として人生が輝くことがきっとあると信じています。

♪ みなさまの応援が励みになります ♪


俳句・短歌ランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次