自販機へのぼる誰もがつま先をお釣りの穴にいったんいれて
伊舎堂仁『感電しかけた話』
伊舎堂仁の第二歌集『感電しかけた話』(2022年)に収められた一首です。
自販機にのぼること、またのぼるのを見たことはあまり経験がありませんが、この歌では、自販機へのぼることがさも日常においては珍しくないことかのように詠われています。
それにしても、のぼる理由は何でしょうか。
友達に”お前、のぼってみろよ”などといわれたのでしょうか、それとも自販機の上面に何かものが引っかかってしまったのでしょうか。まさか、クライミングの練習ということもないとは思いますが。
理由ははっきりしませんが、自販機にのぼると決めたとなると、次はどうのぼるのかというところに焦点が移っていきます。
「誰もがつま先をお釣りの穴にいったんいれて」というところが、のぼり方のすべてを表しているのではないでしょうか。いや、自販機へののぼり方は、この一択といってもいいのかもしれません。
手足を引っかけられそうなところで一番安定するところは、やはりお釣りの穴でしょう。ですから「誰もが」お釣りの穴に注目するのです。
両手は自販機の両サイドをもっている、そんな姿が浮かび上がってきます。
「いったんいれて」というところも丁寧に表現されていて、結果的にのぼれるかのぼれないかは別として、のぼろうと挑戦する過程においては、「いったん」つま先を穴に入れるのです。入れたくなるといいますか、入れざるを得ないという状況でしょう。
この歌を読むと、自販機にのぼるときの様子が非常にリアルな感覚をもって迫ってきます。読み手自身がつま先を、自販機のお釣りの穴に入れているような感じがしてこないでしょうか。
自販機にのぼる状況は日常接することがほとんどないと思われますが、なぜか生々しさをもって迫ってくる、希有な一首ではないでしょうか。

