この世には赤いきつねはいそうだがいそうにもない緑のたぬき
松木秀『親切な郷愁』
松木秀の第三歌集『親切な郷愁』(2013年)に収められた一首です。
東洋水産株式会社がマルちゃんブランドで販売している「赤いきつね」と「緑のたぬき」。「赤いきつね」がうどんのカップ麺、「緑のたぬき」がそばのカップ麺です。
店頭では、これら赤と緑の二種類のカップ麺が並べて置かれることで、補色の効果を上げています。
さて、掲出歌はそんな「赤いきつね」と「緑のたぬき」を題材にして、ひとひねり加えています。
そして「赤いきつね」の「きつね」はきつねうどん、「緑のたぬき」の「たぬき」はたぬきそばを指しているのは充分承知の上で、どちらも元々の語義そのままに、動物としての「きつね」「たぬき」として比較しているところが特徴です。
「赤」と「緑」はカップ麺パッケージの色ですが、動物としての「きつね」の色が赤かったら、そして「たぬき」の色が緑だったらと思い浮かべたとき、「赤いきつね」と「緑のたぬき」は実在するのだろうかというところまで想像は及んでいます。
この歌では、「赤いきつね」は実在するかもしれないけれど、「緑のたぬき」は実在しそうもないと表現されています。
どちらも見たことはありませんが、もしもどちらかが実在するとすれば、詠われているように「赤いきつね」の方が実際にいそうな気がします。
イメージとして、哺乳類の体表の色は、緑よりは赤の方があり得るような気がするからです。バッタやカエルなど、緑色の生き物はいますが、哺乳類となると、緑色というのはなかなか想像しにくいものがあるのではないでしょうか。
参考までにネットで調べてみると、「日経BOOKプラス」というサイトに次のような専門的な記事もありました。
このような専門的な理由はそれとして、掲出歌は「赤いきつね」と「緑のたぬき」を比較して、いそうかいそうにないかを直感で感じとっているのでしょう。
補色効果を活かしたカップ麺の組み合わせから、動物の実在比較への展開が鮮やかですが、このように詠われてみると、その意見に妙に納得する一首ではないでしょうか。

