ラーメンの歌 #16

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ラーメンの短歌

カップ麵にお湯注ぐとき思うんだこうやってお湯降ってくるでしょ
大前粟生『柴犬二匹でサイクロン』

大前おおまえ粟生あおの第一歌集柴犬二匹でサイクロン(2018年)に収められた一首です。

カップ麺を詠った歌ですが、この歌が何を伝えようとしているのかを考え出すとなかなか難しいと感じます。どういう意図からこの歌が生まれ、どういう思いを読み手に伝えたいのか、正直はっきりと示すことができません。

その理由として、この歌の言葉の連続が、我々が普段日常で接する辻褄があった文章とはまったく異なるからです。

とはいっても、何とか手がかりを探りながら読み進んでいきたいものです。いえるとすれば、歌の構造としては上句と下句で視点の位置が変わっており、その視点の転換を楽しむことがひとつの読み方かと思います。

上句は「カップ麵にお湯注ぐとき」とあり、カップ麺をつくる際にはお決まりの行動です。そのときに、主体は”あること”を思うのです。

“あること”というのが下句で、「こうやってお湯降ってくるでしょ」という部分がそれに当たります。

この下句は、お湯を注ぐ側からの視点ではなく、お湯を注がれる側の視点、つまりカップ麺の側の視点から生まれた言葉ではないかと思います。

特に「降ってくる」という言葉が、注ぐ側ではなく注がれる側であることを示しているでしょう。「降ってくる」はあくまでも上から何かがくる様を示す言葉であり、お湯を注ぐ様を上から見ている状況にはふさわしくないからです。お湯を注ぐ側であれば、”降らす”という表現になるはずで、「降ってくる」と表現された途端に、注がれる側を主にしたのだと感じます。

カップ麺側の気持ちを詠んでいるのかもしれません。

ただ「こうやってお湯降ってくるでしょ」で終わっているため、カップ麺側の気持ちがうれしいのか悲しいのか、「こうやってお湯」が降ってくることがつらいのか待望だったのか、そのあたりがはっきりとは示されておらず、読み切れないところです。

でも、無理に読み切る必要もないのかもしれません。上句と下句の視点の転換、「お湯降ってくるでしょ」の軽快な言葉運びを純粋に楽しめばいいのではないかとも思います。

カップ麺にお湯を注ぐという一場面において、お湯の注ぎ方あるいは注がれ方に注目することは珍しいと思います。また視点の転換を感じさせる詠い方から、不思議な魅力をもった一首で、一読忘れることができない歌だと感じます。

カップ麺にお湯を注ぐ
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