明けがたに届く迷惑メールから漏れる光で今日がはじまる
虫武一俊『羽虫群』
虫武一俊の第一歌集『羽虫群』(2016年)に収められた一首です。
朝の目覚めを何によって迎えるかは、その日一日の始まりとして少なからず影響があるかもしれません。朝の目覚めが心地よければ、いい一日になりそうですし、反対に目覚めが悪ければ、何となくその日一日が思わしくなく進んでしまう予感を抱いてしまうでしょう。
朝の目覚めは、カーテンから射し込む朝日の光で目覚めるのか、目覚まし時計のアラームで目覚めるのか、あるいは誰かに直接起こしてもらうのか。このようにいろいろと考えられますが、掲出歌は少し違った目覚め方が詠われています。
それは「迷惑メールから漏れる光」によって目覚めるという、あまりうれしくない出来事から一日が始まるのです。
おそらく携帯電話やスマートフォンを枕元に置いて寝たのでしょう。アラーム機能を使って、何時に起きるか設定されていたのかもしれません。しかし、そのアラームより先に、あるいは自分が起きようと思っていた時間より先に、迷惑メールが届いた状況だと思います。
迷惑メールが届くことによって、携帯電話かスマートフォンの液晶画面が明るくなったのですが、明け方まだ暗い部屋において、その光は主体を目覚めさせるのに充分な光だったのでしょう。
メールはメールでも「迷惑メール」であるところが、この歌のポイントであるとともに、寂しさのようなものがわずかに滲み出ているように感じます。ただし、迷惑メールが届いて目覚めてしまったという、この状況を悲観しているような印象はあまりありません。
このメールが主体にとって大切な人からの素敵なメールであれば、歌から受ける印象は随分と変わっていたでしょう。
実際はこの日、迷惑メールの後に、大切な人からのメールが届いたのかもしれません。しかし、明け方の迷惑メールの状況だけが提示されているこの歌を読むと、主体の携帯電話またはスマートフォンには、その後もそのような大切な人からのメールは届かないのではないかとさえ思わずにはいられません。
それは朝の始まりという、その日の方向性の決定に少なからず影響を与えるであろう一幕が「迷惑メールから漏れる光」で始まるところに、そのような思いを抱いてしまうのかもしれません。
事実を淡々と詠いながら、その日がどのように展開していったのかや、主体の思いなどを考えさせられる一首です。

