雨の朝どこへも行けるさびしさに傘はちいさく世界を弾く
柳澤美晴『一匙の海』
柳澤美晴の第一歌集『一匙の海』(2011年)に収められた一首です。
「雨の朝どこへも行けるさびしさ」という上句の表現に注目しました。
「どこへも行ける」ということは、自由度が高く、むしろ喜びやうれしさにつながるように思いますが、ここでは「さびしさ」と詠われています。傘で雨を凌ぎながら「どこへも行ける」ことは、場所が限定されていないことであり、その限定のないことが、主体に「さびしさ」を感じさせているのです。
いっそ傘がなければ、「どこへも行ける」ということにはならないのかもしれません。傘という、自らを守るものがあるがゆえに、どこへも行けてしまうということではないでしょうか。
それはひとつの防具のようではありますが、傘という防具があるがために「さびしさ」を感じてしまうということもないとはいえないでしょう。
傘が弾くのは雨粒なのですが、この歌で詠われている傘は「ちいさく世界を弾く」のです。
傘がちいさく世界を弾くのは、どこへも行けるさびしさに対する小さな抵抗のようにも感じられます。ここでいう「世界」は傘の外側の世界を指しているのでしょうが、同時にその世界は、傘に覆われた世界をも指しているのかもしれません。
「傘は」という表現から、まるで傘が主体性をもっているように思われます。そのとき、主体は影を薄めてしまうような印象があります。
「さびしさ」だけがいつまでも残り続ける、そんな一首に感じられます。