空回りする歯車のごと傘は離れて三叉路にとけてゆく
田中ましろ『かたすみさがし』
田中ましろの第一歌集『かたすみさがし』(2013年)に収められた一首です。
雨の三叉路を見ているときの歌ですが、ビルなど割と高い位置から雨傘が行き交う様子を見下ろしているような視点が感じられます。
それは傘を「歯車」に喩えていることから、横から眺めているよりも上から眺めている方がしっくりくるからです。「歯車」のイメージはやはり互いが嚙みあっているかいないのかの視点から思い浮かべることが多いでしょう。
さて、この歌ではまるで歯車のように接近していた複数の傘が、三叉路において離れていった場面を詠っています。複数の傘が一本の道を通っていたときは、嚙み合った歯車のように映っていたのですが、分岐がきてそれら複数の傘が左右に分かれていったのでしょう。そのとき、嚙み合っていた歯車のようだった傘が、ばらばらに外れて嚙み合わなくなった歯車のように見えたのではないでしょうか。それを「空回りする歯車」と端的に捉えて表現しているのだと思います。
結句「とけてゆく」から、分岐していった二つあるいは複数の傘の行方は、主体にとってはもうつかめないものとなっていったのでしょう。一旦空回りしてしまった関係というのは、そう簡単には戻らない、そんなことも想起させてくれます。
歌の中に”人”という言葉は登場しませんが、この歌からは傘をもった”人”の姿が浮かんでくるようです。そしてその”人”たちの関係性というものも感じられるのではないでしょうか。
リズムの面から見ると、句割れや句跨りによって、意味の切れ目と句の切れ目がずれており、それが歯車の空回り感にも通じているように思います。
三叉路という特定の場所における、映像的にも時間的にも動きのある一首だと感じます。