傘の歌 #24

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傘の短歌

空回りする歯車のごと傘は離れて三叉路にとけてゆく
田中ましろ『かたすみさがし』

田中ましろの第一歌集かたすみさがし(2013年)に収められた一首です。

雨の日の三叉路を見ているときの歌ですが、ビルの上階などの割と高い位置から、雨傘が行き交う様子を見下ろしているような視点が感じられます。

高い位置からの視点を感じる理由として、傘を「歯車」に喩えていることから、横から眺めているよりも上から眺めている方がしっくりくることが挙げられるでしょう。「歯車」のイメージは、やはり互いの歯が嚙みあっているかいないのかの視点から思い浮かべることが多いのではないでしょうか。そう考えると、開いた傘は上から眺めると、歯車のような形状に見えなくもありません。しかし、傘を横から眺める場合は、「歯車」の形状は想像しにくいと思います。

さて、この歌では、まるで歯車のように接近していた複数の傘が、三叉路において各々離れていった場面を詠っています。複数の傘が一本の道を通っていたときは、嚙み合った歯車のように映っていたのですが、三叉路という分岐において、それら複数の傘が左右に分かれていったのでしょう。そのとき、嚙み合っていた歯車のようだった傘が、ばらばらに外れて嚙み合わなくなった歯車のように見えたのではないでしょうか。それを「空回りする歯車」と端的に捉えて表現しているのだと思います。

結句「とけてゆく」から、分岐していった二つあるいは複数の傘の行方は、主体にとっては、もうつかめないものとなっていったのでしょう。一旦空回りしてしまった関係というのは、そう簡単には戻らない、そんなことも想起させてくれるのではないでしょうか。

歌の中に”人”という言葉は登場しませんが、この歌からは、傘をもった”人”の姿が浮かんでくるようです。当然傘は単体で道をゆくわけではなく、傘を差す”人”がそこにはいるわけです。傘と傘とが歯車のように嚙み合ったり、離れていったりする様子は、そのまま人と人とが嚙み合ったり、離れていったりする姿そのものなのです。ここには、こうした”人”たちの関係性というものも感じられるのではないでしょうか。

リズムの面から見ると、句割れや句跨りによって、意味の切れ目と句の切れ目がずれており、それが歯車の空回り感にも通じているように思います。

三叉路という特定の場所における、映像的にも時間的にも動きのある一首だと感じます。

雨傘の行き交う街の風景
雨傘の行き交う街の風景

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