次の歌の【 ① 】に入る言葉は何?
〈まぼろしの鯨が沖にみえるから【 ① 】の声で泣きだすおとこ〉 (正岡豊)
A. 男
B. 女
C. 鯨
D. 人魚
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A. 男
まぼろしの鯨が沖にみえるから男の声で泣きだすおとこ
掲出歌は、正岡豊の第一歌集『四月の魚』の連作「夜がまだみずみずしい間に」に収められた一首です。
声とは一体何でしょうか。
普段あまりにも当たり前に接しているために、改めて問われると答えに窮してしまいます。
掲出歌では「男の声で泣きだすおとこ」が登場します。「男」だから「男の声」と考えてしまいがちですが、必ずしもそうであるとはいえません。「男の声」で泣くのが「男」である場合もあるでしょうし、そうでない場合もあるでしょう。また「男」と「おとこ」は別物なのかもしれません。
そう考えると、改まって「おとこ」とともに「男の声」といわれると「声」そのものが突然にクロースアップされ、「声」は単なる声ではなく、さまざまに変化するものとしての「声」に変わっていくようです。
一方上句を見ると、「おとこ」が「男の声で泣きだす」理由が描かれています。それは「まぼろしの鯨が沖にみえるから」だというのです。
まぼろしの鯨が沖にみえると、なぜ泣きだすのか、なぜ男の声なのか、そもそもまぼろしの鯨とは何なのか、このあたりは読者の想像力によって思い描く映像というのは異なるかもしれません。上句と下句は順接でつながれていますが、それは万人にとって理解できる順接ではないでしょう。
いやだからこそ、この一首が魅力的でどこかひっかかる一首として成立しているといえるでしょう。この一首から何か確かなものをつかもうとしても、まさにまぼろしのように消え去っていく、そんな感覚を覚えます。ただ「声」だけがそこに残りつづけるような気はします。それはもう「男」であってもそうでなくてもいいような、ただそこに「声」だけが存在すればいいような気がするのです。
読み終えた後に残る「声」の存在、それこそがこの一首が届けたかったものなのかもしれないと思うのです。