眼前の苦を遁れたき我といふ弱気を凌駕する我のあれ
水沢遙子『空中庭園』
水沢遙子の第三歌集『空中庭園』(2001年)に収められた一首です。
生きていれば、楽しいと感じることもあれば、苦しいと感じることもあるでしょう。
この歌は「苦」に直面したときの歌ですが、自分を鼓舞する歌と捉えてもいいと思います。
まず「眼前の苦を遁れたき我」が登場します。「眼前の苦」に対して「我」はどう感じているのかといえば、遁れたいと感じているのです。苦しみをあえて求めるというのは特殊な状況であり、苦しみから遁れたいというのはごく自然な感情ではないかと思います。
さて、そんな「我」を「弱気」といい切っています。ここには客観的な視点があるでしょう。苦しみに直面している我、その我は遁れたいと思っている、そして遁れたいと思っている我は「弱気」であるという展開です。「我」を冷静に見つめる主体がここにはいるようです。
歌はこれでは終わりません。下句では、そんな「弱気」に向かう「我」が登場してきます。すなわち「弱気を凌駕する我」です。
遁れたいと思っている我が存在することは素直に受け入れて、その我を「凌駕する我」の存在を望んでいるのでしょう。
苦しみから遁れたいという我の存在を否定するのではなく、一旦受け入れて、それも「弱気」であると受け入れて、その上でその「弱気」に立ち向かう我を求めているのだと思います。
否定ではなく、一旦受け入れるというところに「我」の人間味のようなものが表れているのではないでしょうか。そしてそれを「凌駕する」ことを求めるところに心の力強さを感じます。
「眼前」「凌駕」といった、やや硬い言葉が使われていますが、一首を通してみると、これらの言葉の選択も力強さへつながる言葉の選択として効果を発揮しているように感じる一首です。