けふよりあすへ疲労はほそき橋として架かる その橋を渡りはじめつ
鈴木加成太『うすがみの銀河』
鈴木加成太の第一歌集『うすがみの銀河』(2022年)に収められた一首です。
仕事の疲れ、学業の疲れ、人生に対する疲れなど、生きていればさまざまなことに疲れていくでしょう。逆説的には、疲れることが生きることともいえるかもしれません。
掲出歌は「疲労」という言葉が登場しますが、”疲れ”とう語に比べ、より肉体的に疲れている印象を受けます。
この「疲労」は「ほそき橋」によって喩えられているのです。そして今日から明日へ、疲労の細い橋は架かっているのであり、細いながらもこの橋の存在は確かであり、橋自体をなかったことにすることはできないように感じます。
例えば仕事で遅くまで働き疲れ果て、家に帰って寝るだけで、もうまた翌朝になってしまうという状況を想像したとしましょう。そのとき、「疲労」があるからこそ、「けふ」と「あす」のつながりが感じられるのかもしれませんし、その疲労を理由としてもち出さなければ、仕事に追われる生活を送っている自分の状態がやってられないと感じてしまうかもしれません。そこに”希望”はなかったとしても「疲労」は存在するのです。
さて、そのような疲労の橋が明日へ向かって架かってしまえば、後は渡るだけでしょう。そして、あまり余計なことは考えない方がいいでしょう。疲労の橋が架かるうちは、その橋を渡ることだけを考えていけばいいのでしょう。日々渡り続けること、それが生きるということに他ならないようにも感じます。
疲労の橋なんていらない、という人もいるかもしれませんが、もしも疲労という橋が架からなければ、それは果たして幸せなことなのでしょうか。
太くて頑丈は橋はいりませんが、この歌のように「ほそき橋」であれば、明日へ向かって架かっていてほしいとも思うのです。
この箸を渡り始めた主体にはどこか充実感があるのではないか、そのように感じられる一首です。