なぜ死んだと問へばなぜ生きてゐるんですかと君の声する
川野里子『ウォーターリリー』
川野里子の第八歌集『ウォーターリリー』(2023年)に収められた一首です。
「君」は、主体にとって大切な誰かなのでしょうが、その「君」が死んでしまった状況だと思います。
死んでしまった「君」に対しての問いかけは、この世において、もう直接「君」に届くことはありません。「なぜ死んだ」と問いかけても、「君」から答えが返ってくることはありません。
しかし、主体は「君」に対して問いかけずにはいられないのだと思います。主体の中において、「君」の死が納得いっていないものなのでしょう。そもそも人の死は、簡単に納得いくようなものではありませんが、突然兆候もなく死んでしまった場合や、互いに対話や理解が不十分なまま死んでしまった場合は特にそう感じるものではないでしょうか。
ですから、主体は「君」に問いかけたのです。そのとき、「君」からの直接の答えはなかったのですが、主体の心の中に「君の声」が聞こえたのです。
「なぜ生きてゐるんですか」
生きている自分から見れば、なぜ死んでしまったのかという思いが湧き上がってくるのが自然に思われます。一方、死の側から見たときに浮かぶ問いかけとして「なぜ生きてゐるんですか」があるのでしょう。これは、生きている側の人間にとってかなり強烈な問いかけなのではないでしょうか。こう問いかけられるとハッとさせられます。
自分はなぜ生きているのだろう。どうして自分は死んでいないのだろう。そもそもこの世に誕生したのは自分の意思なのだろうか。今まで生きてきたけど、生きている理由は一体何なのだろう…。
そんなさまざまな問いが浮かび上がってきます。
「なぜ死んだ」はあくまでも生きているという土台を中心に見た問いかけであって、死んでいるという土台を中心に見た場合、「なぜ生きてゐる」が自ずと浮かぶ問いかけなのかもしれません。
我々は生きている状態のままでは、死後の世界を知ることはできませんが、生と死の両方を経験した者にとって、見える世界はずっと広くなるのかもしれません。生や死を超えたもっと大きな視座に立ったとき、「なぜ生きてゐるんですか」の問いかけが生まれてくるようにも感じます。
生者にとって、死者への「なぜ」を繰り返してしまいがちですが、振り返って自分は「なぜ生きてゐる」のかを本当に問いかけたことがあるのでしょうか。
死んでしまった「君」からの問いかけであれば尚更、「なぜ生きてゐるんですか」が自身に向かって刺さってくるように思います。
死と生の対比、そしてそれぞれの立場からの問いかけがとても印象深く、心の底に残りつづける一首です。



