川に沿う物干し台に生き方は甲乙丙もなく揺られおり
小高賢『秋の茱萸坂』
小高賢の第九歌集『秋の茱萸坂』(2014年)に収められた一首です。
洗濯物が風に揺られている場面でしょうか。
物干し台が川に沿って並べられています。特定の一軒ということではなく、何軒もの家の物干し台が並んでいる様子を想像しました。長屋のような建物かもしれません。いずれの家の物干し台も、傍を流れる川に沿って置かれているのでしょう。
さて、その物干し台に揺れているのは洗濯された服やタオルなどではありますが、ここではずばり「生き方」と捉えられています。なぜ「生き方」なのでしょうか。
服は身にまとわれているときは、その人自身の身分や立ち位置、経済状況などと関係して、まわりからは見られるのかもしれません。しかし、一旦洗濯して、干されている状態では、服は服として干されているのであり、そこに人間の身分や経済状況が付加されているわけではありません。
きれいさっぱり洗濯された洗濯物は、「甲乙丙」の差がなく、ただの洗濯物として揺れているのです。そこに、いわゆる日常にまとわりついた「生き方」の差はありません。
家が並ぶ川沿いにおいて、家々ごとに住む人物の地位や経済状況は異なるでしょう。しかし、一旦身にまとっているものを脱いで、洗濯されて干されてしまったものには、日常の「生き方」は引きずられず、「甲乙丙なく」、むしろ清々しいほどの状態がそこにあるだけなのだと思います。
主体は、地位や経済状況といった差を否定しているわけではないでしょうが、そのようなことを避けて生きられない部分があるのかもしれません。地域や経済状況ばかりに目を向けるのではなく、揺れている洗濯物の甲乙丙のなさに憧れを抱いているのではないでしょうか。
「生き方」とずばりいいきった点が独特で魅力的な一首だと感じます。



