ルーレットみたいにまわる星にいていつでも少し負け側にいる
ナカムラロボ『祈りそのものだったわたしは』
ナカムラロボの第一歌集『祈りそのものだったわたしは』(2026年)に収められた一首です。
「ルーレット」と聞けば、カジノのルーレット、人生ゲームのルーレットなど色々と想像できると思います。そのルーレットのように「まわる星」とは、我々が住む地球そのもののことでしょう。
「ルーレットみたいに」というのは、太陽系に存在する惑星の並びのイメージを喩えているのでしょうか。惑星は、恒星である太陽を中心として、その周りの軌道をずっと回り続けています。地球も例外ではなく、太陽をルーレットの軸とすれば、地球はその周りを回る玉のような存在でしょう。ルーレットと太陽系の惑星の軌道の図はどこか通じるように感じます。
さて、この歌で注目したいのは下句の「いつでも少し負け側にいる」です。
ここでの「負け側」とは、カジノのルーレット勝負のような短期的な視点といっているのではなく、人生というスパンを長期的に振り返ったときに感じる「負け側」のことでしょう。
人生の各場面を勝ち負けで判断した場合、主体はいつも「少し負け側」にいると感じているのです。子どもの頃から大人になるまで、勉強、スポーツ、恋愛、仕事、人間関係などさまざまな場面を他者と比べたとき「少し負け側」なのでしょう。
ただし何が何でも勝とうという感じはあまりしません。もちろん「負け側」にいることを決して望んでいるわけではないでしょうが、「負け側」にいる自分をどこか受け入れているような印象を受けます。このような印象は上句の提示によるところが大きいと思います。
「ルーレット」からは運否天賦の要素を感じますし、「星」という大きな存在の前において、「少し負け側にいる」ということはある程度仕方のないことなのかもしれません。むしろ主体自身が「少し負け側」を引き受けることで、他の誰かの”少し勝ち側”を譲っているようにさえ思えてきます。
人生はすべて自分の努力次第と考えるよりも、どこかルーレットのような部分があると思えることは、人生を柔軟にし、生きやすくしてくれるのかもしれません。



