卓上に紙屑がひとつあるゆゑにけふの日が否定されたるやうな
小島熱子『りんご1/2個』
小島熱子の第三歌集『りんご1/2個』(2011年)に収められた一首です。
この卓は家のテーブルか何かでしょう。
主体は、卓上に紙屑がひとつあるのを見てしまったわけですが、この紙屑は一体誰が置いたものでしょうか。主体自身でしょうか、それとも主体ではない誰か、例えば家族の誰かが置いたものでしょうか。
下句の「けふの日が否定されたるやうな」というところがこの歌のポイントだと感じますが、そのように感じてしまうということは、主体自身がこの紙屑を置いたというよりも、別の誰かが紙屑を置きっぱなしにしたと捉えた方がいいように思います。
自身の知らないうちに、卓上に紙屑がほったらからしにされていたという状況に対して、主体は「けふの日が否定された」ような気持ちを感じてしまったのです。
ひょっとすると卓上はきれいに片づけられていたのかもしれません。その状態にたったひとつ紙屑が置かれていたこと、それは卓上の調和を乱すものとして主体には映ったのでしょう。
紙屑ひとつがあることに気づいた一瞬という短い時間が、今日一日という長い時間を否定してしまう、この卓上の紙屑の存在にはそれほどの威力があったというべきでしょう。
“終わりよければすべてよし”とはよくいわれますが、今日一日の終わりがいいかどうかで、その日の印象というのはずいぶんと変わってくると思います。
卓上に紙屑を見つけてしまった主体にとって、今日の終わりはあまりいいものとして感じれられず、今日一日が否定されてしまったように感じるところまでつながってしまったのです。
卓上の紙屑という状況は些細といえば些細なことかもしれませんが、人の気持ちを揺り動かすのは、案外こういった些細なことだったりするのではないかと改めて感じさせられる一首ではないでしょうか。