鉄橋は無数のネジに締められて線路の音は調律される
竹内亮『タルト・タタンと炭酸水』
竹内亮の第一歌集『タルト・タタンと炭酸水』(2015年)に収められた一首です。
建築物を構成する要素として「ネジ」は欠かせないものでしょうが、「鉄橋」も「ネジ」なしでは到底成り立たないものだと思います。
鉄橋の場合、大小さまざまなネジが使われているのでしょうが、大きなネジがむき出しのままとなっている部分もあります。目に見える部分に使われているのはもちろん、視界に入らない部分にも「無数のネジ」が組み込まれているのでしょう。
無数のネジも含めて鉄橋という存在だとは思いますが、この歌では鉄橋とネジは一体のものというより、別々の存在として認識されているように思います。それは「鉄橋は無数のネジに締められて」という表現から、そう感じるのですが、鉄橋が無数のネジによって締め上げられ拘束されているような、そんなイメージが浮かんできます。
無数のネジが鉄橋を締めている状態は、下句の「線路の音は調律される」に続いていきます。
このように詠われると、無数のネジの役割は鉄橋を維持するということのではなく、線路の音を調律することのように感じられてくるのです。
列車が鉄橋を渡るときの線路の音、それは鉄橋を締める無数のネジによって調整されていたのだという新たな見方が与えられるのではないでしょうか。このように見ると、ネジも線路も単に金属の物体としてではなく、生き生きとした変化のあるもののように思われてきます。
長い年月の中でネジが緩めば、線路は音程を変えていくのでしょうか、また定期点検などによって再度ネジが締められても、線路の音は変化していくのでしょうか。
無数のネジの無数の締め具合によって、線路の音はそれこそ無数の音をとり得る可能性があるのだと思います。ネジのひとつひとつがまるで調律師のような印象をもって迫ってくる一首ではないでしょうか。