三分の電車の遅延・エフェクトで馬鹿っぽいパン買ってしまった
宇野なずき『しかし世界はあなたではない』
宇野なずきの歌集『しかし世界はあなたではない』(2023年)に収められた一首です。
通勤途中の駅のホームにいる場面でしょうか。出勤日に毎日電車に乗っていると、電車の遅延に遭遇することはそう珍しいことではありません。
今回の場合は「三分」の遅延ということで、それほど大きな遅延ではないでしょう。しかし、その三分間に、主体は「馬鹿っぽいパン」を買ってしまったというのです。
馬鹿っぽいパンとはどんなパンでしょうか。見た目がそうなのか、味がそうなのか、「馬鹿っぽい」といわれても、これは読み手によってさまざまに想像できるのではないでしょうか。
主体は電車の遅延がなければ、この「馬鹿っぽいパン」を買うことはなかったかもしれません。「遅延・エフェクトで」という部分に、まさに遅延が発生したことによって、パンを買う状況になってしまった感がよく表れていると思います。
三分間をただじっと待つというのも一つでしょう。駅で電車を待っている大抵の人は、遅れているなと思いながら、仕方なく待っているでしょう。
しかし、主体はここでじっと待つのではなく、パンを買うという行動を、この三分間に実行したわけです。
電車の遅延さえなければ、パンを買わずに、そのまま電車に乗っていったはずです。しかし遅延による時間ができてしまったことにより、パンを買ってしまったわけです。三分間という短い時間だから、じっくりとパンを選ぶ余裕もなかったのかもしれません。馬鹿っぽいパンはそのように選ばれたのでしょう。
捉え方によっては、元々パンを買いたいという気持ちがあり、電車の遅延によって時間を持て余したことを理由にしてパンを買うことができたとも採れるでしょう。つまり、穿った見方をすると、元々馬鹿っぽいパンが気になっていて、でもそれを買うのは少しためらわれるところがあって、三分間の電車の遅延を言い訳にして、馬鹿っぽいパンを手に入れたとも採れるかもしれません。
いずれにしても、電車の遅延がなければ起こらない行動だったわけであり、「遅延・エフェクト」といういい方、そして「馬鹿っぽいパン」というパンに対する形容が、呼応し合って、興味を惹かれる一首になっていると思います。
