両親が両脇に居てくれることこんなにも親不孝な幸
笹本碧『ここはたしかに 完全版』
笹本碧の遺歌集『ここはたしかに 完全版』(2020年)に収められた一首です。
「手をあててみる」という一連にある歌で、自身の手術後の場面を詠っています。
ごく普通の生活を送っていれば、「両親が両脇に居てくれること」は当たり前のように感じてしまうものでしょう。
しかし、掲出歌のように日常生活から離れた特別な状況において「両親が両脇に居てくれること」は、何も当たり前のことなんかではないと気づくのではないでしょうか。
両親がいること、そして傍にいてくれること、それは幸せなことだと感じている主体がそこにいるのです。
けれども、この幸せは紛れのない幸せかといえばそうではありません。「親不孝な幸」と詠われているところに、複雑で深い思いを感じます。
重い病気に罹り、手術を受けなければならない状況になってしまった自分、そんな自分の状況が「親不孝」という言葉を選ばせてしまっているのでしょう。
一方、両親が傍にいてくれることは「幸」であるのです。
「親不孝」と「幸」は両立しない言葉のように見えますが、ここでは「親不孝な幸」として組み合わされたものを丸ごと受け取っているのです。
自分に対する嘆き、両親に対する申し訳なさといった思いがある一方、両親がいてくれることへの感謝、自分が置かれている状況に対する幸せな気持ちなど、さまざまな思いがこの歌から感じられます。
著者は病気のため、34歳という若さで亡くなりました。
「親不孝な幸」という言葉がどれほど重いか、その本当のところは読み手は想像するほかありません。ただ、当たり前と思っていたことが、実はかけがえのないことかもしれないということを読み手は感じ取ることができるのではないでしょうか。
作者の置かれた状況を重ねて読むことは避けられないと思いますが、心に深く刺さる一首だと感じます。