勝ち負けを決めないことも負けかもと思う あなたの下着を吊るす
岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』
岡崎裕美子の第二歌集『わたくしが樹木であれば』(2017年)に収められた一首です。
“勝つことはいいことだ”、”負けるよりも勝ちなさい”。
そのような考えをすべての人が受け入れているわけではないと思います。むしろ、以前に比べ「勝ち負け」を重視しない、あえてはっきりさせないといった風潮があるようにも思います。
勝ち負けを決めることで、勝者と敗者が生まれますが、敗者側に配慮した結果、勝ち負けを追求しない流れが広がっているのかもしれません。
さて、掲出歌は「勝ち負けを決めないことも負けかもと思う」と詠われています。
勝ち負けを決めないことは果たして正しいことなのでしょうか。正しい正しくないというのも、何をもってそういえるのか、結局は各人がどのように考えるかにいきつくわけですが、ひとつの選択肢として「勝ち負けを決めない」という選択をすることはできるでしょう。
この歌で、主体はまさに「勝ち負けを決めない」という選択をしたのです。これは局所的な勝負事というよりは、自分と相手との関係性の話でしょう。とかく、人との関係においては、感情として寄り添ったり、離れたり、また駆け引きなどが生まれやすくなります。
それらを勝負であると見てしまうと、そこに自ずと勝ち負けという基準が生まれてしまいます。
主体はそのような勝ち負けを決めるということをあえて避けたのかもしれません。勝ち負けをはっきりさせることを避けること、それは一見引き分けのようにも思いますが、ここでは「負けかもと思う」という考えに向かっています。
勝ち負けを決めない選択が負けだとすれば、勝つためには、まず勝ち負けを決める選択をし、かつその勝負に勝つ必要があります。勝ち負けを決める選択をしても、勝負に負けてしまえば、それはやはり負けなのでしょう。
「あなたの下着を吊るす」とある通り、主体と「あなた」との関係は「下着を吊るす」ほどの仲であるのです。下着を吊るしながら、ふと勝ち負けのことに思いが及んだのでしょう。
主体は、この負けに抵抗しているようには感じられません。むしろ負けを受け入れているように思います。本当は素直に負けを認めるのは悔しいのだけれど、勝ち負けを決めないという選択はもう負けと同じなのだと感じており、その選択をした時点で、負けを認めざるを得ないということを、改めて自分自身に受け入れさせようとしているように感じます。
生きていく上で、勝ち負けを避けて通ることのできない場面も出てくるでしょう。そのとき、勝ち負けを決めないという選択ができるとして、しかしその選択をすれば、それはすでに負けであるということは、勝つということはかなり難しいことなのかもしれないと感じてしまいます。
勝ち負けというものの、単純でありながらその奥深さを改めて考えさせてくれる一首です。